ある四阿にて -飛天魔行閑話-

   § : 飛天魔行 「ある四阿にて」
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【短編/完結済/約3400文字/読了時間約7分】
シリーズの主人公の一人・月読さんと、その旧知の人外の少年が、何気ないお話をしています。




「やっほ、月読(つくよみ)ー」
 霧雨が朧に視界を霞ませる中、石造りの古びた四阿(あずまや)で書物を開いていた月読は、不意の呼びかけに視線を持ち上げた。翡翠色の瞳が、ふわりとまるで降ってわいたように四阿のすぐ側に降り立った、鮮やかな夕陽を思わせる朱金色の装束を纏った少年の姿にとまる。
「おや、これは」
 書物を石卓に伏せて、静かな物腰で月読は立ち上がる。そうして立ち上がると、長い亜麻色の髪をゆるく背の半ばほどで結い、すらりと上背の高い容貌が、薄萌葱色の長衣によく映えて見えた。
「こんにちは、千熾(せんし)。お久し振りですね」
 淡く微笑した月読に、千熾と呼ばれた朱金の装束姿の少年が、にっこりと笑い返した。
「おひさし。あ、いーのいーの。構わず座ってて」
 千熾は雨など気にもしていないように、月読の腰ほどの高さの四阿の囲いにひょいと腰掛ける。体重など存在していないような動きは、跳躍したというよりも宙を舞ったかのようだった。
「では、お言葉に甘えて失礼します」
 月読は千熾に向かって一礼し、もとのように石造りの椅子に腰を下ろした。
「月読はぁ、相変わらず読書三昧?」
 四阿の囲いに腰掛けた少年は、邪気のない様子で月読に話しかける。人里からはやや離れた山あい、土や岩の色、曇天と深い樹木の緑に囲まれた中にあって、その鮮やかな朱金の装束を纏った姿はひどく目を引く。金糸による細かい刺繍の施された装束が、一見して豪奢なばかりではない。歳の頃は十二か三か、金色を帯びた少年の髪は腰を覆うほどまでに長く流れ落ち、ふわりと空気を含んでいるようでありながら乱れの一筋もない。子供らしく大きな瞳の色は装束に似た朱金。いかにも気さくで明るい表情を湛えているが、その言動に似合わず、思わず瞬いて見直してしまうほどの高雅さを帯びていた。
「晴耕雨読、ではありませんが。特に何もやることがないときは、今はこれが楽しいですね」
 朱金の少年に視線を返しながら、物柔らかな表情によく似合う柔らかな声音で月読が言った。月読の線の細い柔和な容貌は女性かと見まごうほどだが、そうと言うには長い指にはまろやかさがなく、声音も低い。年齢は二十台前半ばかりか。若々しい容貌だが、纏う空気は老成という表現が相応しいほどに落ち着いていた。
「まぁ、あんたらが暇なのは良いことと言えば良いこと、なのかなあ」
 膝に頬杖をついて言った千熾に、月読がゆるく首を傾けた。
「どうでしょう。陰陽の巡りが滞ることが、果たして吉であるのか凶であるのか」
「うーん。たまたまそーいう時期なんじゃないの? んな難しく考えなくてもいーと思うよ」
 あっけらかんと言う少年に、月読が思わずのように笑みこぼした。
「あなたがそう仰るのであれば、そうなのかもしれませんね」
「まーこれでも陽氣の塊だからね、俺」
 やけに偉そうに、悪戯っぽく小さな胸を張ってみせる少年に、ますます月読は笑った。
「貴い鳳凰の雛が、そうふらふらと穢れた下界をうろつくものではありませんよ?」
「えー。だって上はタイクツだしさー、下界のがおもしろいんだもん。目新しいもんいっぱいあるしさー。それにこんな程度の陰氣で穢れたりしないってば、俺」
「それはそうでしょうけれど。上の方々は気が気ではないでしょう」
「もー。月読せっきょーくさい。中身はすっかりオジイチャンだなぁ」
 ぷっと頬を膨らませた千熾に、月読が明るい翡翠色の瞳をまばたき、それからいっそうおかしそうに吹き出した。
「それはもう。本当の年齢など、とうに忘れてしまいましたから」
「もうちょっと若々しくならないとモテないよー? せっかく見かけは整ってるんだからさぁ」
「人の子に好かれたとて、互いに困るだけでしょう」
「えー。俺が月読だったらこの世の春を謳歌するけどなぁ。俺はこの通り、変化(へんげ)したってやたら目立っちまうからさ。この金ぴかのだけでも隠せりゃ、ちょっとは地味になるんだけど」
 千熾が自分の金色の前髪を摘み、鮮やかな朱金の瞳をくるりと不満気に動かす。月読は目元に笑みを含んだまま、声ばかりは生真面目を装って言った。
「腕の良い法士が呪(シユ)を施した染料であれば、染めることも叶うのではないでしょうか?」
「あー、むりむり。こないだ榮(ヨウ)国一の道士ってのがそんな感じの作ってくれたんだけどさ、染まるどころか染料の方が金ぴかになっちまってさ。道士のおっちゃんもまた商魂逞しくてさあ、その染料使って守り札作り始めてんの。霊験あらたかなお守りでござい、とかいって売り出して大盛況。どうなの、それ?」
「なかなか愉快な道士ではないですか。あながち詐欺とも言えませんし、そのまま棄てるのもはばかられたでしょうし、まず有効活用と言えるのでは」
「俺の夢の黒髪はどうなったんだーてのー」
「そもそも榮国一などと、その煽り自体があやしいのではないかと……」
「む。まー確かに、自称だったしな。あのおっちゃん」
 諮られたか、と唸っている千熾に、月読がいくらか表情を真面目なものにした。
「下界で遊興されるのも結構ですが、くれぐれも身の回りにはお気をつけ下さい。あなたに何かあれば、天界も下界も大変なことになりましょう」
「うーん。俺がどーなっても、誰も困らないと思うけどねぇ?」
 頬杖をついたまま言った千熾に、月読が翡翠色の瞳に険しいほどに真摯な色を帯びた。
「千熾。冗談でもそのようなことを口にするものではありません」
「はぁい。ごめんなさい」
 少年は軽く首をすくめた。
「俺に説教するのなんてあんたくらいだよ、月読。ほんとオジイチャンなんだから」
「私達の数少ない特権ですからね。いかなる天地の則にも縛られないというのは」
 表情を和らげた月読に、千熾がまた首をすくめた。そしてふとしたように、きょろきょろとあたりを見回した。
「そういや、氷弥(ひみ)は?」
「下の街に行くと。静かなら静かで、どうにも落ち着かないようです」
「まーなぁ。鏡は見つからない、天雅刀(てんがとう)も調子が悪いじゃ、そりゃ氷弥のことだから寛ぐ気分にはなれないだろうなぁ」
「そうですね。あれは、少し思いつめるたちですから……」
 言いかけた月読が、不意に立ち上がった。千熾に向かって身体を開くように立つと、優雅な長い左腕を前方に差し伸ばす。と、何もない空間が陽炎のように揺らぎ、瞬きの間に月読の手の中に一張の大きな弓が現れた。
 白銀に煌くそれを千熾に向かって月読が軽々とつがえ、と思った瞬間には白銀の閃光が解き放たれていた。千熾の身ぎりぎりをかすめて閃光は飛び、そこにいた黒い何ものかを射抜いて、悲鳴すら上げさせずに散らし、消し飛ばした。
「大物は現れませんが、細かいものはきりがありませんね」
 月読が軽く息をついて腕を下ろしたとき、その手の中からは白銀の弓は影も形もなく消え失せていた。その様子を眺めつつ、千熾が感心したように言った。
「それ、やっぱりキレイだなぁ」
「それ?」
「あんたの瓏月弓(ろうげつきゆう)。天雅刀もキレイだけど、俺はそっちのが好きだ」
 言いながら千熾は、囲いの上に立ち上がった。大人の掌の大きさほども幅のない上に、まるで地面の上に立つように危なげもなく。
「んじゃ、俺ちょっと氷弥のところに遊びにいってくる。どーせまたあいつ難しい顔してるんだろうから」
「わかりました。お気をつけて」
 言った月読に、ちらりと千熾が目を投げた。
「それだけー?」
 月読が小さく笑い、腰を折って一礼した。
「氷弥をよろしく頼みます。少しはあれを笑わせてやって下さい」
「頼まれた」
 頷いて笑うと、千熾が囲いの上でくるりと身を翻した。そのままふわりと舞い上がり、朱金の炎がその姿を覆い隠すように渦を巻いて、そう見えたと思ったときには煌く火の粉を残して千熾の姿は空中に掻き消えていた。
 そこにいるだけで何かと騒がしい少年が消えてしまうと、途端にまた、音もなく降る霧雨が風景を洗う静寂が戻ってきた。
「……よっぽど暇なんでしょうかね……」
 灰色の空を眺めながら、何をしに現れたのやらと月読はしばし考え、朱金を纏う少年の賑やかさと、その少年が会いに行くと言った仏頂面の昔馴染みの顔を思い出して、もう一度小さく笑みこぼした。
 そして何事もなかったように石の椅子に腰を下ろして、伏せておいた書物をゆっくりと開いた。


(了)


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