最果ての恋 (1)

   § : 飛天魔行 「最果ての恋」
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更新中/中編/異世界/東洋風/ファンタジー/天魔/神器/天雅刀/少年/出逢い/皇子/陰謀/幼馴染み/純愛/悲恋/
【更新中、現在約15500文字、読了時間約31分】
大陸の北方に位置し、たいした資源も産業もない小さな国――「瓊眞」。中央から忘れられたような貧しい北の小国を心から愛し、懸命に盛り立てようとする、若き皇子・皓此がいた。
病に倒れた父皇に代わり未熟ながらも奔走する皓此に、周囲の者も期待をし心を寄せる。
貧しくはあるが美しいその国と皇子の上に、しかしある出来事を境に、次第に暗雲が垂れ込め始めた……。
後に神器「天雅刀」を所有することになる天魔の少年が、まだ「人」としてあった頃。とある北の国で、哀しくも真摯に生きた、一人の若者の物語です。



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 清く音もなく、花のように白い雪が降る。
 貧しき地上に、罪無き者に、罪ある者にも平等に。
 声もなく震える肩の上に、しんと凍える雪が降る。

        ◇

 この季節の瓊眞(けいしん)国にしては珍しく、夜空が晴れ渡っていた。
 冷たい吹雪を連れて来ることも珍しくない天空は高く澄んで、どんな金銀細工でもかなわない零れるほどの星屑を散りばめている。
 その中にぽっかりと浮かぶ、白銀色の半欠け月を見上げながら、皓此(こうし)は呟いた。
「綺麗だな。こんな夜は、何はともあれ星明りの下でゆっくりとくつろぎたくなる」
「では、こちらが一段落したらそうなさいますか?」
 書卓に抱えてきた紙束を置き、床几(いす)を引いて腰を下ろしながら、皓此の側近であり世話役でもある蘇芳(すおう)が言った。
 それを聞いて、窓辺から夜空を眺めていた皓此が振り返る。若々しく柔らかな頬に、皓此は邪気のない笑みを浮かべた。
「お前がお小言を言わないのも珍しいな。いつもなら、飲んだくれてる暇があるなら働いて下さいだの何だの言われるのに」
 銀色の月明かりと、藍色の夜空からの光を映す雪景色からの照り返しを受け、窓辺に立っている皓此の姿もまた淡く青白い。今年で齢十七を迎える身体つきは、まだ完全な大人のものではなく、しなやかで長袍(ながぎ)の上からはいささか細身に見える。が、馬術や弓術、剣術など、何をやらせても皓此は「この国随一の腕前」との誉れが高い。またその凛と整った面差しから、宮廷はおろか国中の女性達からの人気も高い。
 もっとも「この国」とはいっても、大陸の北の山際に追いやられ、這いつくばるように広がる、ごく小さな貧しい国ではあるのだが。
「皓此様は最近、よく働いて下さいますから。たまの息抜きまで咎めたりはしませんよ。度を越えさえしなければ、ですがね」
「俺も、自分がこんなに働き者だとは知らなかったよ」
 蘇芳の言葉に、皓此は冗談めかして答える。開け放った窓からの冷気に思わず震え、皓此は上半身を覆う裾の短めの毛皮の襲衣(おすい)の前を引き合わせた。
 皓此の艶やかな長い黒髪は、後ろで素っ気無く一本の組紐で纏められ、服飾にも飾り気らしい飾り気はない。だが何よりこたえる寒さのために纏った毛皮の襲衣は、かなりの値打ちがあるものだった。
 皓此の瑠璃玉の色を帯びた瞳が、ふとその毛皮の合せ目に落ちた。
「こんな寒い夜にも、この国の大半の民達は貧しいぼろを纏って震えているしかないからな……それを思うと、恵まれた俺が働かなければ、申し訳ない気持ちにもなるさ」
「皓此様が恵まれておいでなのは、それだけの責務を背負っておられるからですよ」
 やはり簡素ではあるが、最低限の防寒の工夫は施した長袍を身につけた蘇芳が、そんな言葉を返した。
「皓此様がしっかり働いて、少しずつでも皆の暮らしが良くなれば、それで民は喜びます。民には民の仕事があるように、皓此様のお仕事は皓此様にしかできません。ですから、充分にお身体をいたわって下さらなければ困ります。あなたは他でもない、この国の第一皇子なのですから」
 蘇芳は皓此の立つ窓辺に足を運び、ぱしりと窓を閉めた。
「本当は炕(かん)も入れて頂きたいくらいです。そうしたら部屋の中でまで、そんな大仰な毛皮をお召しにならずとも良いものを」
「毛皮は父上から譲っていただいたものだし、着たら減るものでもないし、俺達二人くらいなら火鉢で充分だろう?」
「まあ、そういう皓此様を、私は幸いなことに嫌いではありません。風邪をひかない程度に、寒いのにもお付き合いして差し上げますよ」
 皓此より一回りほども歳上で、皇族に連なる血筋と高い身分を持つ蘇芳ではあるが、その言動には気負いも遠慮もない。皓此がもっと短気で身分にこだわる人間であったなら、とっくに斬り捨てられていてもおかしくはないほどだった。もっとも皓此がそんな人間であったら、蘇芳の方から側仕えを蹴っていただろうが。
「すまないな、俺の我が侭に付き合わせて」
 そして皓此の側も、優秀な文官であり幼い頃からよく面倒を見てくれていた蘇芳を親しく思っていた。公の場に出れば、どうしても身分の上下が先に立つが、こうしてごく内輪だけで顔を付き合せていれば、蘇芳を兄のように思う気安さが先に立つ。
 気さくな表情を見せる若い皇子に、蘇芳も軽く笑みを刷いた。
「さて、遅くならないうちにやってしまいますか。来春からの辰悸地方の開墾について報告書が上がってきています。これが本格化したら、もっと忙しくなりますよ」


 背後に連なる山々から吹き降ろす冷たい風に晒され、土地も肥沃とは言い難い一帯に広がる瓊眞国は、古くは大陸で最も栄えている大国「榮(よう)」に連なる由緒正しい系統を持っている。当時の榮の皇帝から土地を割譲され、そこに榮の内親王が入ったことから、小なりとはいえ皇国の名乗りを通していた。
 当時はいくつも豊かな鉱脈があって国も潤っていたのだが、それらが摂り尽くされてしまうと、元々小さな国で交通の要衝でもなくたいした産業もなかった瓊眞は、見る間に衰えた。五十年も前ならいざ知らず、今では大陸の中部以南では、北のちっぽけな国であるその名前を知らない者も珍しくは無い。


「ほんっとーにさー……カリッカリだよなぁ。土が」
 瓊眞の冬は長く、降雪も多く、降っていなくてもどんよりと曇っていることが多い。外では粉雪のちらつく中、瓊眞国第一皇子である皓此の私房に集まり、多くはまだ若い駆け出しの官吏達――皓此が街の私塾に通っていたときの友人達でもある――が、やいのやいのと言い合っていた。
「痩せているなりの作物を育てるしかないですねぇ。皇子のはからいで、けっこうおもしろそうな種子が手に入りましたから、試す価値はあるかと思います」
「しかしまぁ、植えるにはまず土地がいる。土地を拓くには道具がいる。道具を工面するには金がいる。しかし先立つものがとにかく足りないと。困ったもんだ」
「治水工事も要るし、そう簡単には進まないな」
 皓此が公式に、あるいは個人的に各地から取り寄せた調査報告書を様々に引っ繰り返しながら、鋭気と活気にあふれた若者達は、ああでもないこうでもないと討論し合っている。公の協議などというものではないが、それは彼らにとって根は真剣な、そして皓此にとっても皆の率直な意見を聞ける貴重な場だった。
 現皇、つまり皓此の父親はかなり気さくで、宮廷に閉じこもるよりも街に降りて民とふれ合うことを好む人物だった。元々小さな田舎の国であり、代々皇家にはあまり民と隔てを置かない気風もある。それらにふれて育った皓此も、有名な街の私塾で数年学んで過ごした経験も手伝い、自然とそういった意識を持つようになっていた。
「父上の了解さえ得られれば、の話にはなるが……」
 皆のやりとりを黙って聞いていた皓此が、そこで口を開いた。皓此の声音は静かでも芯が通っており、またこの場の中心はなんといっても皓此でもある為、皆の注意が自然とそちらに向く。
「宝物殿にあるものを、いくつか売ろうかと思う。もっと国が豊かだった頃にかき集めたものばかりだから、あそこを解放すればそれなりの財になるはずだ」
「うーん。まあそりゃあ、俺らみたいな庶民には、食えないお宝より先立つものに換えてくれた方がありがたいけどなぁ」
 若者達もまた、様々に思案しながら答えた。皓此自身と現皇の意向により、私塾では身分の上下差を取り払った交流を持っていた名残りで、こうして私的な時間を設けているときだけは、彼らの態度は極めてざっくばらんだ。
「けど、そんなあっさりお宝を売り払っちゃっていいもんなの? 威信に関わるだろ」
「普段から使うものではなくとも、催しの際には引き出されるものもあるでしょうしね。そういったときにあまり飾りつけが貧相ですと、さすがに不快な顔をする者もいるでしょうねぇ」
 公の場ではないこういった場面では、皓此もまた、友人である彼らに不敬は問わない。故に彼らの言動も歯に衣着せない砕けたものになり、受け答える皓此も気取らずに、私塾に通っていた頃のまま接することができた。
「そのあたりの選別の必要は、最低限あるだろうな。しかし、国民が餓えているのに宮廷だけ豪華でも、それこそ物笑いの種だろう?」
「と、ぶっちゃけ俺らなんかは思いますけどねー」
 多くは貧しい庶民の出である若者達は、頷き合った。
「食うものも食わずで、やれ畑を耕せだの工事に参加しろだの言われたって無理ですよ。晶桂(しょうけい)様と皓此様のおかげで、なんとか直轄領にいる人間は餓え死にせずに済んでますが」
「中央から少し離れた地域ですと、悪徳官吏が好き勝手をしているところもまだまだありますからね」
 晶桂とは、皓此の父、つまり現在の瓊眞皇の名だ。彼らの言葉を聞きながら、皓此は軽く嘆息した。
「情けないことながら、その通りだ……まったく、頭が痛い」
「正直なところ、外戚連中もうるさいでしょう。宝物殿の解放は、単純に皇族の財産が減るということです。そんな話を彼らが簡単に承諾するとは思えませんよ」
「彼らが反対しても、父上の認可さえ下りたらやってしまおうかと思ってる。どうせ話して分かる連中ではないからな」
 皓此のもう堅く意思の決まっているような言葉に、確かにそうしてもらえれば大助かりだとは思ってはいる皆も、それ以上を言うのは止めた。
 再びあれこれ討論を始めた彼らをよそに、中の一人が、気がかりそうに皓此に囁いた。
「我々には有り難くはありますが……あまり敵を増やさない方がいいですよ、皇子」
 それを見返して、皓此が苦笑に近い顔をした。
「俺もできれば、増やしたくはないよ」


「まあ、一番手っ取り早い方法ではありますよね。宝物殿の解放は」
 来春からの大規模な治水工事を控えた堤へと並んで馬を走らせながら、蘇芳が世間話のような気楽さで言う。
「貴族達の蓄えを吐き出させることができたら、もっといいんですが。なかなか難しいでしょうねぇ」
「そのためにも、まずは皇家が率先してやらないとな」
 隣で若駒を駆りながら言った皓此に、蘇芳がおやと目を向けた。
「成程。そこまでお考えでしたか」
「そればかりではないが。そうでもしないと、当面の資金繰りがどうにもならないのも事実だ」
 やがて二人は、いかにも寒々しい灰色の水流を滔々と満たしている大河を傍らに見る場所に辿り着いた。呼吸がいくらか弾み、真っ白い息が頬にまとわりついた。
「ここのあたり一帯を整えるまでに、どれくらいかかるだろうか……」
「来年中には終わらせたいですね。大きな水害などが起きないことを祈りましょう」
 工事を予定しているあたりに、二人はゆっくりと馬を歩かせる。測量などの作業をしている者達の邪魔をしないように、できるだけ距離を取った。
「治水を制する者は国を制する、と申します。困難は多いでしょうが、民を安んじ国を少しでも豊かにしようと思うならば、必ずやらなければならないことでもあります」
 灰色の河とその向こうに見える灰色の低い雲に半ば隠れた山脈を眺めながら、蘇芳が言った。
「皓此様が、大きなことに目の向く方で良かった。晶桂様がお倒れあそばされたときには、正直どうなることかと思いましたが」
「まだ俺は何もしてないぞ。結果も出ないうちから買いかぶるなよ?」
 冷たく強い風に煽られる襲衣を押さえながら、皓此がやや決まり悪そうに言った。背の半ばほどもある見事な黒髪も、風に弄ばれて散っている。
 その瑠璃色の双眸は、真っ直ぐな若駒にも似たまだ初々しいような少年らしさと、小なりとはいえ一国の後継者たれと育てられた芯の毅い思慮深さが混在した、凛とした色合いを帯びている。それを穏やかに見返しながら、蘇芳は破顔した。
「結果は、これから共に出して参りましょう。この灰色の貧しい国を、少しでも豊かにするためにも」
 蘇芳を見返し、皓此も小さく目許を笑ませた。
「頼りにしている。俺のような到らぬ若輩に仕えてくれること、いつも大義に思う。これからもよろしく頼むぞ」
 若き皇子の言葉に、蘇芳は心から、馬上で頭を垂れた。 


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