うららかに、桜舞う午後

   § : GRAM 「うららかに、桜舞う午後」
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桜/オフモードのレラさん/年上のお姉さん/淡い想い/
【短編/完結済/約4300文字/読了時間約8分】
レラさんとエミルくんが、桜を眺めながらのんびりお話をしています。カーレルさんは出てきません。




「あら」
 居酒屋兼食堂「ドラム・カン」でのバイトから戻った昼下がり。「こんな宿もあるさ亭」の受付カウンター前で、こぼれるような桜色を細い腕いっぱいに抱えた女性が、エミルを振り返った。
 腰まで届くほど長い、真っ直ぐで艶やかな栗色の髪。サファイア色の瞳がエミルをとらえ、少し眩しいものを見たように細められた。
 エミルは彼女に、いささか慌てて、かつ畏まってぺこりとお辞儀をする。
「こんにちは。レラさん、でしたよね」
「ええ。名前、覚えていてくれたのね」
「おかえりなさい、エミルくん」
 女性――レラと一緒に立っていた、宿屋の主人トーマスの娘マリーンが、ほがらかにエミルに声をかける。彼女もまた、レラとそっくりな栗色の長い髪をしている。そうして並ぶと「姉妹である」というのが一目瞭然なほど、二人はよく似ていた。が、常に明るくほがらかに笑っているマリーンと、あまり表情を変えないレラとでは、一見した印象が大きく違う。一つ違いだという彼女達は、顔形は確かに似通っているのだけれど、並んでいなければ「姉妹だ」と結びつけるのは難しいくらいだった。
 レラがこぼれるほど両腕に抱えていたのは、桜の枝だった。咲き具合は五分から八分咲き。
「ギルドにいつも山ほど咲くから。おすそわけに来たの」
 木枠の窓から差し込む明るい日差しの中で、レラが白い頬を微笑ませた。エミルが彼女と出会ったのは半月ほど前、彼の魔法の師匠カーレルが魔道士ギルドの連中に襲われた夜のことだ。あの夜のレラは、人形めいているほど淡々として見えたのだが、明るい日差しの下にいるせいか、腕いっぱいに抱えた桜のせいか、今日の彼女を取り巻く空気は随分とやわらいで感じられた。
「フロアが明るくなって素敵よ。ありがとう、姉さん」
 レラの腕から桜の枝を受け取り、マリーンが用意してあった壷に枝を差した。
「ほんと。綺麗ですねえ」
 マリーンが枝を整えているそばに、誘われるようにエミルも寄っていく。たわわな蕾を持った枝に、数え切れない薄ピンク色の小さな花が散っている。自然に顔がほころんだ。
「じゃあ、私はこれで」
「えぇ? お茶くらい飲んでいってください、姉さん。お父さんもじきに戻ってくると思うし」
 言ったレラに、マリーンが不服そうに答える。レラは小さくかぶりを振った。
「あまり長居は、ね」
 それから彼女は、エミルにその瞳をめぐらせた。明るい場所で間近で見た、思慮深そうな美しい瞳に、エミルは思わずどきりとしてしまった。
「エミルくんよね。少し、一緒にいいかしら? 話したいことがあるの」
「えっ? あ、はい」
 話ってなんだろうと内心動揺しながら、エミルは頷く。
「それじゃあ、またね。何かあったらギルドに連絡をちょうだい」
 レラはマリーンに言い置いて、表の通りに向かって開け放たれた扉に歩き始めた。長い栗色の髪が、逆光に縁取られてふわりと揺れた。


 緑色の芝生に埋め尽くされた、広い河川敷。穏やかに流れる河の両岸には見事な桜並木が続き、広がる青い空が気持ち良い。あちらこちらで家族連れやカップルなどが、いずれものんびりと過ごしているのが見える。
 春だなあ、としみじみ思う、うららかな午後だった。
「いつかの夜は」
 対岸に見える薄ピンク色の帯を眺めて座りながら、レラが切り出した。
「きついことを言ってごめんなさい。気になっていたの」
「そんなことはありません」
 驚いて、エミルは隣に座る彼女を振り返る。レラはあの夜と同じ、黒に近い生地の、肩の出た膝丈までの長衣。同じ色の、二の腕まである長い手袋という格好だった。これと似たような格好のギルドの女性を、エミルは何度か見たことがある。位階か属する部門か分からないが、なんらかの基準に属する者に与えられる制服なのだろう。魔道士ギルドに属するにも二通りがあり、ギルドそのものに職を得る者と、ギルドに登録してその庇護を受けるかわりに上納金などそれなりの費用を納める者とがいる。彼女は前者というわけだった。
「魔法の才能自体は誰にでもあるものだわ。ただそれが、何らかの形になるほど強いか、まったく何も顕現しないほど弱いかというだけ」
 エミルの隣に座ったレラは、河川敷を流れる風にやわらかく髪をなぶらせるまま、対岸を見つめている。
「誰に教えられるまでもなく、生まれつきの自分の魔法の才能を明確に理解できる者は稀だわ。だからこそ先達者の導きが必要なの。あなたがあの夜やってしまったことは、確かに簡単に許されることではないけれど……あなたをただ責めるのも、思いやりのないことだったわ」
「それは違います」
 エミルはゆっくり、けれどはっきりと首を振った。
「お師匠様がいて下さらなかったら、あの時僕は間違いなく、魔法の力で人をひとりを殺めてしまっていたんです。今でも思い出すと、手足が冷たくなって、ぞっとするんです……あなたの仰ったことは、僕にとって大事なことだったんです」
 レラが静かにエミルを見返った。
「素直なのね、あなたは」
「……だって、それだけのことを僕はしたわけでしょう」
「そうね」
 瞳をわずかに細めるように、レラが微笑した。
「でも、必要以上に自分を恐れてはだめよ。肝心なときに、また自分を見失ってしまうから」
「はい」
 語る抑揚には乏しいが、不思議な深みのある穏やかなレラの言葉に、エミルは噛み締めるように頷いた。そしてふと、こんな言葉を告げるレラ自身のことが気になった。
「あの……レラさんは、もうずっとギルドですごしておられるんですか?」
 問いかけられたのが意外だったのか、レラは白い瞼をまばたかせ、再び対岸に目を戻した。
「ええ。五歳のときに、家を離れてギルドの寮に入ったの」
「五歳」
 驚いてエミルは繰り返した。
「小さな頃から魔力が強くて。コントロールができなかったのね。何度か騒ぎを起こしてしまって、ギルドの人達も何度も相談に来て。それで、決めたの」
「ご自分で……?」
「勿論よ。お父さんもマリーンも大反対だったけれど。マリーンなんか、泣き叫んで始末に負えなかったわ」
「そうだったんですか……」
「でも、別に出入りは自由だったから。平日でも週末でも、課外であれば家に戻れたし。逆に外からの訪問も自由だったし、そう悲観的なものではなかったわ」
 なんとなくしゅんとしてしまったエミルを気遣ってか、レラはやわらかく続けた。あの夜の硬質な印象の彼女より、今日の穏やかな彼女の方が本来の姿であるように、エミルには思えた。
「自分がそんなふうだったから、カーレルのことは本当に驚いたの」
 続いた彼女の言葉に、エミルは尋ね返した。
「お師匠様のこと?」
「ええ。あの人、ギルドが大嫌いでしょう」
「ああ」
 エミルは苦笑いしてしまう。自由奔放といえばまだ聞こえが良いが、我が儘身勝手の権化ともいう彼の師匠ことカーレルは、規律だの秩序だのにうるさい魔道士ギルドとソリが合わず、とことん嫌い抜いていた。レラは本当に理解ができない、という困惑の伺える横顔で言った。
「魔道士ならギルドに所属するのが当たり前と思っていたのよ。だって所属しない理由がないもの。魔道士になれるまでの魔力を持つ人の方が、そうではない人に比べて圧倒的に少ないから、ギルドに保護されることでそれなりの優位性も生まれるわ。勿論それと引き換えに、魔道士としての働きを求められもするけれど」
「そうですよねえ……」
「もっとも、だからといってギルドの横暴も否定はできないけれど……」
 半月ほど前の夜、魔道士ギルドの者達が、「目の上のタンコブ」であるカーレルのことを、まさに彼の身を害するために襲撃したことを言っているのだろう。勿論そこに到るまでにはそれなりの経緯と確執があったのだろうが、「ギルドが特定の誰かを抹殺しようとした」ということは、そのギルドにずっと属し恩恵にあやかってきたレラにとって、大きな衝撃だったのだろう。無論、彼女ほどではなくとも魔道士ギルドに悪い印象を持ってはいなかったエミルも、驚いたのは同じだった。
「穏やかな話ではありませんよね、確かに。お師匠様があんな人だから、なんとなくこう、流してしまってますけど」
「本当に」
 レラが軽く溜め息をついた。
「この街に戻ってきたのは三年振りだけれど。三年経っても、あの人は全然変わっていないわ。あの人には、寂しいとか、人恋しいとか思う感情自体が、最初から存在していないんじゃないか……そんなふうにさえ思ってしまう」
「……そんな人間、普通いますかねえ?」
「あの人を『普通』だと思う?」
「いいえ」
 問いかけられてエミルは即答した。その直裁さに、レラが思わずのように小さく声を立てて笑った。
「あなたも変わっているわね」
 身に覚えのないことを言われて、エミルはきょとんとする。
「そうですか?」
「あの人のことを、ある程度であれ理解していて、それでも師と仰ぎたいだなんて。充分変わっているわ」
 レラは春の陽のように穏やかな眼差しで、そんな少年を眺めた。
「苦労するわよ。飽きないかもしれないけれど」
「あはは……」
 否定できず、エミルは乾いた声で笑った。
「まあ、でも、ある程度の覚悟はしていますよ。なにしろあんな人ですから」
「そうね」
 レラが時々小さな桜の花びらを巻き上げてゆく青空に目を向けた。つられてエミルも空を見上げた。
「でも、あの人があなたを弟子として受け入れたと聞いて、私、少し安心したの。あなたとあの人は、あまりに性質が違うから。それにこうしてあなたと話してみて、あなたなら大丈夫じゃないかって思えたわ。あの人に流されず、やっていけるんじゃないかって」
「そうですかねえ……買いかぶりのような気もしますけど」
「たいていの人は、恐がってあの人に近づくこともためらうのよ」
 そりゃあ、あのやさぐれた態度と目つきで遠慮なく対応されたら、たいていの者はびびるだろう。
「そういえば、恐いって気持ちは不思議と最初からなかったですね」
 ふふ、とまた小さくレラは笑った。そうして立ち上がると、長衣の裾を軽く払った。
「それじゃ、私はそろそろ戻るわ」
「あ、はい」
 エミルも立ち上がり、すでに歩き出している彼女に向き直って一礼した。
「レラさん。わざわざ、ありがとうございました」
「こちらこそ。あの人のこと、よろしくね」
 それだけ言い残して、レラは歩み去ってゆく。まだ満開前の桜の樹から時折舞う花びらが、その栗色の長い髪にからまって揺れているのが見えた。
 その綺麗に線の通ったような後ろ姿を、エミルはぼんやりと眺めていた。そして数秒後はっと我に返り、慌てて彼も逆方向――「こんな宿もあるさ亭」に向かって歩き出した。小春日和の空気と同じようになんとなくほんわかしている胸に、無意識のうちに手をあてながら。


(了)


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