深淵を見るは鷹の慧眼 -前編-

   § : GRAM 「深淵を見るは鷹の慧眼」
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古代遺跡/珍しくまともに見える魔道士/友人は曲者/災難な弟子/
【中編/完結済/約20000文字/読了時間約40分】
カーレルさんが趣味で研究している、古代魔法国家(ロスト・エティマ)の遺跡にお出かけします。またこのお話で、カーレルさんの友人でもあり、シャザレイムの街から近隣一帯を治める大領主・イズビゲント候が初登場します。



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「あれ?」
 近所の食堂兼居酒屋「ドラム・カン」より、昼のバイトから戻ったエミル少年は、彼の仮住まいでもある安宿「こんな宿もあるさ亭」正面玄関をくぐって首をかしげた。
 正面玄関を入ってすぐのところは、外来にも開かれた食堂フロアである。ただし食事時以外は閉められているのが通例で、昼食と夕食の中間くらいに当たる今の時間、そこに客はいないはずだった。
「よ。お邪魔さん」
 奥の方にあるカウンター席から、その人物がエミルに気さくな様子で手を振った。商社マンのようなスーツ姿。三十代半ば程度ではないかと思われるその男と、エミルは初対面だった。だが、どこかで見た顔であるような気もする。
「こんにちは。お客様ですか?」
 フロアには彼以外の姿はない。客であるなら、どこかにいるだろう主人トーマスか娘のマリーンを呼んでこなければいけない。
 男のもとまで足を運んでぺこりとお辞儀をしたエミルに、男はにこやかに受け答えた。
「んん、こりゃまた可愛い子だねえ。カーレルの奴、随分上玉を掴んだな」
「はぁ……お師匠様のお知り合いですか?」
 よくわからないことを言われ、首をひねりつつも、カーレルの名前をかなり親しげに出した男にエミルは尋ねてみる。男の前にはコーヒーを満たしたカップが置かれており、ということはトーマスかマリーンかがこの男を接客したということだ。宿屋の客、ということではなく、誰かの客……カーレルの客、ということだろうか。
 近くに寄ってみると、男の身に着けているシワひとつないスーツは、とても品質が良さそうだった。ややくすんだような薄い金色の髪をビシッとなでつけた男は、表情そのものは実に親しみやすそうだが、顔つきや仕種にどことなく品がある。やや目尻の下がった目は細めで、顔立ちはありていに言って整っている部類に入っていた。むしろ目尻の微妙な下がり具合が、鋭角的な印象を良い感じにやわらげている。
 男は長い脚を組むと、おどけたような仕種で両手を広げてみせた。
「知り合いもお知り合い。十年来の親友さ」
「ええぇ!?」
 心底驚いたあまり、エミルは男の前から飛び退った。まさかあの我が儘身勝手唯我独尊なカーレルに、親友、しかも十年来などというものが存在するとは。
「いいリアクションだねぇ。どうだ、信じられないだろう?」
「信じられません……」
 素直に頷いたエミルに、うんうん、と男も頷いた。
「そりゃそうだ。出まかせだし」
「えっ!?」
 再び驚いて声を上げたエミルを、男はカウンターに片肘をついて悠然と眺めた。
「でも五年くらい前から友人ではあるぞ。多分な」
「は、はぁ……」
 なんだろうこの人は、とエミルは若干たじろいだ。カーレルも相当一筋縄ではいかない人間だが、それとはまた違った意味で、このスーツの男も相当に食えない感じがする。見た目の良さ以上に、そのささやかな表情や仕種の端々から、どことはなしに一般庶民とは異なる空気を醸し出している。こういうのを「オーラがある」というのだろうか。
 まじまじと男を見返したエミルは、唐突にその顔立ちを、普段からわりあいよく見ているものと一致させた。
「あっ……」
「ん?」
「……まさか、とは思いますけれど。あなたは……イズビゲント侯爵様……?」
 街のあちこちで見かける、城下町シャザレイムを拠点とし、この付近一帯の地方を治める大領主イズビゲント侯爵の似顔絵や肖像画。そこに描かれた男の顔立ちとこの男の顔は、とてもよく似ていた。重厚でいかめしい表情の肖像画などとは、印象がまったく違うけれど。
 男はにっこりと笑い、掌を上げてひらりと振った。
「ご名答。イズぴんて呼んでね♪」
 イズぴんて、と様々な意味でとんでもない話にエミルが混乱しかかったところに、
「呼ばねーよ。アホかてめーは」
 唐突に不機嫌そのものの声が投げ込まれた。営業時間中は開放されたままの正面玄関から、のしのしと長身の人影が入り込んでくる。両腕いっぱいに店の買い出しらしい大荷物を抱えた、エプロン姿のカーレルだった。
「あ、お師匠様。おかえりなさい」
 どうやらカーレルはカーレルで、宿屋の手伝いの最中だったらしい。積もり積もった宿代のツケをカタに、宿屋の主人トーマスから労働力の提供を命じられて以来、彼はちょくちょく宿の仕事に借り出されている。大陸指折りの魔道士とも言われる身がエプロン姿で何をやっているのかと、《魔剣グラム》の通り名に少しでも幻想を抱いている者であれば突っ込まずにはいられないだろう。
「よう、やさぐれ魔道士。元気にやってっか?」
 男――イズビゲント候が、カウンター席に座ったまま気安い調子でカーレルに声をかけた。カーレルはそこらの丸テーブルに大荷物をどかどかと降ろし、据わり切った目つきでそれを見返した。うわあ、とエミルが後ずさってしまうほど、充満する精神的低気圧が見えるような様子だった。
 カーレルはエプロン姿のまま、大股でイズビゲントの前に足を運んだ。思い切り上から視線を突き下ろす。
「何しにわいて出やがった、この暇人」
「はっはー。最近やさぐれ魔道士の顔を見てないなぁと思ってね」
「うっぜ。見なくて結構だ、とっとと出てけ。こっちは忙しいんだ」
「そんな言い方をしなくたっていいだろう。久し振りに会いに来た親友に」
「誰が親友だよ! 暇すぎてとうとう脳みそまで腐りやがったか?」
「私が暇だということは、それだけ部下達が有能揃いだということだ。そして愛すべき領民諸君も実に素晴らしく勤勉で、かつ善良な良き民であるということだ。まったくもってありがたい話だよ」
 ゆったりと語るイズビゲント候に、カーレルがいらいらと片足で足踏みしながら、宿屋の玄関を指差した。
「ああそうかいっ。だったらその善良な領民様の貴重な就労タイムを邪魔すんじゃねーよ。俺らの税金でふんぞり返ってられんだから。さっさと帰れっつの!」
「おや。おまえの口から就労だの税金だのという言葉が出るようになったとはね。こいつは、明日は雹でも降るんじゃないのか」
 大真面目な顔で切り返すイズビゲントは、椅子から腰を上げる気配すらない。エミルは口をぽかんと開けて二人のやり取りを見守ってしまった。……どうやらカーレルの様子からして、本当にこのスーツの男はイズビゲント侯爵その人に間違いないらしい。だが、そうだとするならば……。
「おおお師匠様っ!! なんてことを領主様に仰るんですかッ!!」
 ようやく我に返り、追突するような勢いで、エミルはカーレルの腕に取り付いた。春先にこのシャザレイムを訪れたばかりのエミルは、まだあまりよく領主イズビゲント候のことを知らないが、善政を敷き領内をよく治めよく栄えさせている好人物であるとは聞いている。大領主イズビゲント候ともなれば、その領内一帯に住む者は誰でも、本来頭が上がらないはずなのだ。
「あン? なんだよ、急に」
「なんだよじゃありませんよっ! ほら、早く謝罪してください!」
 傲岸不遜かつ破天荒の権化たるカーレルといえど、例外であろうはずがない。不敬罪に問われたらどうなることか、と必死で食い下がるエミルだったが、
「あっはっは。構わんよ、君」
 当のイズビゲント候が、からからと笑いながらそんなことを言った。
「私は以前、そいつに命を救われたことがあるんだ。それに何かと面白い男だからねぇ。私に対して畏まる必要はない、と言ってあるんだよ」
「てめえに言われなくたって変わらねーよ」
 ますますむっとしたようにカーレルが反論する。エミルはいっそう目を丸くして、そんなカーレルとイズビゲント候を見比べてしまった。イズビゲント候は続けた。
「そもそもだ。どんな権力であろうと、そいつを従わせることができるものがこの地上に存在するわけがない。従わせるものがいるというのなら、むしろ是非見てみたいものだねぇ」
「はぁ……」
「おめーがそんだけの器になったら、考えてやらないでもねーがな」
 腕組みをし、あからさまに見下す態度で言ったカーレルに、エミルは「構わない」とは言われていてもはらはらしてしまった。が、イズビゲント候は言葉の通り、カーレルの不遜を気にする様子もなかった。
「はっはっは。大陸中に呼び名も高い《魔剣グラム》を掌中に収めることができたら、そうだなぁ、大陸制覇も夢じゃないだろうな。精進するとしようか」
「けっ。冗談でもンなくっだらねーこと言ってるうちは願い下げだぜ」
 カーレルはテーブルの上にいったん置いたままだった大荷物を抱え上げ、奥の厨房にずかずかと歩み去っていった。
 ……あらゆる意味でとんでもないやりとりを見てしまい、エミルはただ呆然と、それを見送ることしかできなかった。
「あのツッパリ具合が可愛いよねえ。あれを飼い慣らすのはさぞかし楽しいだろうなあ」
 カウンターに肘をついた楽な姿勢のままそんなことを言ったイズビゲント候に、エミルはさらにぎょっとして、失礼であると分かっていながらもまじまじと視線を向けてしまった。
「可愛いって……」
「ん? 可愛いだろう、あいつは。下手に手を出すと噛み付かれるどころか、腕の一本や二本さっくり持っていかれそうなあたりが」
「全然可愛くありません」
 それじゃ猛獣じゃないか、いや確かに猛獣じみたところは多々あるけれど、と思いつつ、エミルは思わず嘆息を落としてしまった。
「……知らずとはいえ、大変失礼いたしました。イズビゲント侯爵様」
 そしてあらたまって向き直り、深々と頭を下げる。カーレルがどうあれ、自分は一般庶民にすぎず、大領主たる相手に対し粗略に振る舞うわけにはいかなかった。イズビゲントは気にした様子もなく、気さくな態度のままエミルを見た。
「楽にしてくれて構わないよ、私がスーツ姿でいるときはお忍びなんだから。今は私立探偵のヴァナード・シンクと名乗っておこう」
「はぁ……」
 なぜよりにもよって私立探偵、とは思ったが黙っておく。と、イズビゲントが思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。大事なことを忘れていた。おい、カーレル!」
 命じることに慣れた者の、よく通る声が響いた。
「ぁン?」
 エプロン姿のままで、カーレルがかったるそうに厨房から顔を覗かせた。完全な無視はしないあたり、さしものカーレルも多少はこのイズビゲント候に思うところはあるのだろうか。
「んだよ、今忙しいっていってんだろ。用があるならこっちが片付くまで待ってろよ」
「いやいや、少しでも早く耳に入れてやった方がいいかと思ってね。《古代語魔法(グランドグリフ)》の痕跡がひとつ見つかったんだ」
 さらりと告げたイズビゲントに、カーレルの表情が明らかに変わった。ぱちぱちとまばたき、次には目を三角にしてイズビゲントをにらむ。
「なら最初からそう言えよっ。あいッかわらず底意地の悪い野郎だな」
「いやあ、ついうっかりと。久し振りにおまえに会ったから、その喜びで他のことが頭から吹き飛んでしまった」
「白々しいっ」
 毒づいたカーレルに、はっはっは、とイズビゲントはまた声を立てて笑った。


 シャザレイムから馬車を走らせて半日ほどもいったところにある、小さな渓谷。そこに向かって降りてゆく小道の上に、エミル少年と地霊の兄弟、それにカーレルは立っていた。
「《古代語魔法(グランドグリフ)》の研究ですか……お師匠様も意外に魔道士らしいことをしてたんですね」
「意外に、ってのはどういう意味だよ」
「い、いえ。それより、こんなところに本当に古代魔法国家(ロスト・エティマ)の遺跡なんてあるんですか?」
 エミルは初夏の爽やかな日差しに照らされている小さな渓谷を見下ろした。そう深くもない沢には、細い川がきらきらと光の線さながらに走っている。
「古代魔法国家(ロスト・エティマ)」とはもう千年以上も前に栄えていたという、その呼ばれ方の通り古代の巨大な魔法国家だった。そこで用いられていたといわれる魔法を、《古代語魔法(グランドグリフ)》と大雑把に括っている。古代魔法国家では今よりずっと魔法の影響力が大きく、また人々の用いる魔法のレベル自体も高かったとされている。《古代語魔法(グランドグリフ)》は今ある魔法のルーツにもなっている、とは言われているが、何しろ国もろとも失われたのがもう千年以上も前の話なので、なかなかすべての真偽を確かめる術もない。
 それだけに謎めいたそれらは多くの者達のロマンを刺激し、一般にも古代魔法国家を題材にした大衆娯楽作品などが多数生み出されたりしている。勿論、カーレルのように専門的に研究している者も、一般人、魔道士問わず多く存在した。
「仮にも侯爵様の情報だから、アテにはできるんじゃねーのか?」
「イズビゲント候ですか……あんな気さくな方だったとは、正直なところびっくりしました」
 なんでも大領主イズビゲント候は、五年前にカーレルと知り合って以来、目新しい《古代語魔法(グランドグリフ)》関連の情報があればその都度流してくれているらしい。それにしても大領主御大自らが伝えに出没するなど、お忍びとはいえ驚くべき話ではあった。
「気さくねえ」
 カーレルが口元だけを意味深な笑みの形にした。沢へと続く小道を下り始める。
 小道とはいっても獣道で、その角度は相当に急だった。ほとんど崖と変わらないような場所もあり、茂っている草や蔓につかまりながら、おっかなびっくりエミルもそれに続いていく。カーレルは危なげもなくひょいひょいと進んで行き、エミルよりずっと早く沢に降り立った。
 人里離れた川辺を吹き抜ける風はひんやりするほど涼しく、玉砂利に埋もれた沢は明るくて気持ちが良かった。川面をぱしゃんと跳ねる銀色の魚影が見えた。ここでお弁当を食べればよかったなあ、などとエミルが考えているところに、
「……レラ!?」
 驚いたようなカーレルの声が聞こえた。覚えのあるその名前に、エミルも慌ててそちらの方に向かった。
「カーレル……あなた、こんなところで何をしているの」
 そこにいた女性もまた、驚いたような顔をしていた。長い栗色の髪をなびかせた、魔道士ギルドの制服をまとった女性――レラは、先端に連環の付いた美しい錫杖を手にしている。出会った夜と同じ姿、つまりそれは、彼女が「魔道士」として活動している最中であることを意味していた。
「そりゃこっちのセリフだぜ。何やってんだよ、こんなところで」
「私はギルドの指示で、ここにあるという古代魔法国家(ロスト・エティマ)の遺跡の調査に来たのよ」
 答えたレラは、真っ直ぐにカーレルを見据えて向き直った。白い面には感情らしい感情もなく、美しいがあの夜のように人形めいていた。
「その情報はどっから出たんだ?」
「領主様からだとお伺いしたけれど」
「あんの野郎……」
 カーレルが舌打ちした。カーレルと魔道士ギルドに同時に情報を流したのは、たまたまなのか双方が現場で鉢合わせることを意図したのか。エミルにはなんとなく、後者であるように思えてならなかった。あのどこか人を食った侯爵は、カーレル相手であれば、おもしろがってあえてトラブルの種を撒き散らしておくくらいやりそうだ。表情からしてカーレルも同感だったようである。
「おまえだったからいいようなものの。またギルドと面倒くせえことになったらどうする気だったんだ」
 なにしろモグリの魔道士であるカーレルと、秩序と規律を重んじる魔道士ギルドとのソリの悪さは相当である。
「私に調査員の指名があったともお伺いしているわ」
 整った弧を描く眉をわずかとも動かさずに言ったレラに、今度こそカーレルが思い切り顔をしかめた。
「……あんの野郎」
 繰り返し、沢を縁取っている藪の向こうへずかずかと歩き出した。
 そこにはやはり獣道が続いていたが、群生した野生の藪はそれを両側から隠してしまうほどに生い茂り、かきわけて進むのは思ったよりも骨が折れた。
 しかし直線距離はさほどでもなく、じきに藪の向こうに、緑色以外の何かが見え始めた。
 それは塚のように盛り上がった斜面にあった。ただの一枚岩のようにも見えるが、よくよく眺めてみると、わずかな隙間も生まないように目張り加工されている。ただし相当に古い。
「よくこんなところにあるもんを見つけたな」
 こんこん、とその壁のような一枚岩の表面を叩きながら、カーレルが言った。
「地上からはまず無理ね。たまたまこのあたりの測量の下見のために借眼鳥(ナルムス)を飛ばしていたら、発見したらしいわ」
 借眼鳥(ナルムス)、というのは固有名称ではなく、生き物の視界を借りて中継のように映像を見ることのできる、「借眼術(しゃくがんじゅつ)」という魔法を施された鳥のことである。別にかける相手は鳥でなくても何でも良いのだが、利便性の上から翼持つものに施されることが多いため、そのために飼われている鳥は特にそう呼ばれている。
「測量?」
「特に治水の必要もない人里離れたところの地図は、多くが不便がない程度の目安で作られたものでしょう。イズビゲント様は、国内の正確な地図を作るように働きかけていらっしゃるの。その試金石として、まずは領内の精密な地図作りを進めておられるのね」
「へぇ。てことは、今後もこういう知られざる古代魔法国家(ロスト・エティマ)の遺跡が見つかる可能性は高いわけだ」
「そういうことになるわね」
 カーレルとレラはそんな会話をしながら、どうにかしてこの一枚岩を開けないものか探っている。邪魔になるかと最初は下がっていたエミルだが、物珍しさから近づいていってそれを見上げた。
 一枚岩は、縦横にそう大きいものではない。横はエミルが両腕を広げたくらい、縦にはカーレルの頭より少し高いくらい。
「なんでこれが、古代魔法国家(ロスト・エティマ)の遺跡だって分かるんですか?」
「勘だな」
「またそんなアバウトなことを」
「魔道士の勘をバカにすんなよ? ってまあそれは冗談にしても」
「冗談だったんですか……」
「全部が全部分かるわけではないわ。ただ、《古代語魔法(グランドグリフ)》には特殊な霊波のようなものがあるの」
 レラが白い顔をエミルに向け、抑揚に欠ける事務的な口調で言った。
「何度かふれれば、これがそうなんだと分かるはずよ。霊波の強さは施されている《古代語魔法(グランドグリフ)》の大きさにもよるし、その効力が既に失われてしまっているものであれば、霊波も当然失われてしまう。だから必ずそうだと分かるわけではないの」
「ということは、古代魔法国家(ロスト・エティマ)の遺跡だってはっきり分かるものほど、かけられている《古代語魔法(グランドグリフ)》もはっきりした形で残っているってことですか」
「そうね。そんなものは滅多にはないけれど。ここにしても、感じられる霊波はごく微弱なものだわ」
「千年以上効力が持続してるってだけでも、えらい話だけどな」
 一枚岩の表面に手をすべらせていたカーレルが、そのうちある一ヶ所でそれを止めた。掌を添えたまま、口の中で何か呪文(スペル)を唱える。燐光を帯びた小さな魔法印(エレメント)がそこに生まれ、燐光は扉全体に広がると、ほんの一瞬だけ一枚岩の輪郭をたどって走り、消えた。とん、とカーレルが一枚岩を押すと、それまで微動だにしなかったそれが鈍い音を立てて扉のように内側に開いた。まるで彼らを迎え入れるように。
「相変わらず見事なお手並みね」
 レラが感心しているとは思えない淡白な様子で言った。エミルは初めて目の前で見た「魔法解除(アンチロック)」と呼ばれる類のその業に、思わず歓声を上げてしまった。
「すごいや。どこに封印が掛けられてるのかも分かりませんでしたよ、僕」
 それはこういった古い遺跡にはしばしば掛けられているもので、いわば魔法による戸締りとでもいったものだった。それを編んでいる魔法の構成を読み解き、ほどいて効果を消滅させることを「魔法解除(アンチロック)」と呼ぶ。広義では何も封印解除だけに限らず、あらゆる魔法の効果を解く行為すべてをそう称する。単純に魔法を解除する場合は「ディスペル」と呼ばれるが。
「遺跡の扉ばっか開けられてもなぁ」
 つまらなそうに答えながら、カーレルは真っ暗なそこの中にためらいもなく踏み込んでいく。
「普通の鍵でもできたら、鍵師も失敗しなかったかもしれませんね。……わっ」
 彼らが一歩入った途端、壁に取り付けられていた何かが音もなく発光した。ぼんやりした緑を帯びた光は、ランプともつかない、小さな台座の上に丸い小さな石が乗っているように見えるものが発していた。光はその丸いものから放たれている。それは通路の奥まで等間隔で続き、ひんやりと黴臭いそこを照らしていた。
「うっわ、これ本当にあったんだ。よく出てきますよねえ、古代魔法国家(ロスト・エティマ)モノの読み物とか絵とかに」
 エミルは多少おっかなびっくり、その不可思議な発光体に手を伸ばしてみる。熱を帯びているのかと思ったら、その光るものはひんやりと冷たかった。音もなく淡い燐光を発しているそれを、エミルはまじまじと見つめた。
「……すごいな。まだ稼動してるんだ、これ」
 それは古の魔法国家ではきっと当たり前のものだったろう、魔道による照明器具だった。古代魔法国家(ロスト・エティマ)を題材にした娯楽作品やらはいくらでも見たことがあるが、そこで描かれている様々な古代の魔法器具を実際にその目にするのとはわけが違う。そもそも娯楽作品の中に出てくるものなど、大半が古代魔法国家に夢を見た現代人達の勝手な妄想、でっちあげなのだ。
 千年以上も前には、きっと当たり前の魔法技術のひとつにすぎなかっただろうそれを前に、エミルはすっかり興奮してしまった。炎に頼らず、しかも半永久的に明かりをもたらす。現代に生きるエミルなどには奇跡のように思えるそれも、古代魔法国家と呼ばれるそこでは、ごくごくありきたりなものでしかなかったのだろう。
「感激するのはいいけど、はぐれて迷子になるなよ」
「あ、はい」
 奥に進んで行くカーレルに声を投げられ、エミルは慌ててその後ろ姿を追った。同じく先に立っていたレラは、表情をまったく動かさないままそんなエミルを見、ついてくるのを確認してからカーレルに続いて歩き始める。
 遺跡内部は、夏が近づきつつある外よりもずっと気温が低かった。千年以上も動くことはなかったであろうと思われる空気は、そこを歩くと対流する様が見えると錯覚してしまうほど、何か濃密な成分を含んでいるように感じてしまう。それは千年以上も前の空気そのものなのか、未だに遺跡が帯びる魔法の力の名残なのか。
 遺跡内部は、石造りの足元も壁面も、千年以上も前の建造物であるとは思えないほどしっかりしていた。やはり魔法の力で保護されているのだろうか。奥へ奥へと曲がりくねりながら続く通路は、幅は大人が二人も並んで歩いたらそれでいっぱいになってしまうほど。よってエミルは、先に立つカーレルとレラの後に下がって、きょろきょろしながらあとをついていく。その両肩には、最近移動時にはそこにそうしていることが多い、地霊の兄弟がおとなしく乗っていた。
「……廟、かしら。ここは」
 囁き声でもよく反響する中に、レラが女性にしては少し低めの声で呟いた。
「それっぽいな。変なものの気配は特に感じねぇし。変なガスも発生してる様子はないな」
「奥にもごく普通の副葬品がある程度かしら」
「ざっと眺めて、あとは学者どもに任せるかねえ」
「魔道具以外には相変わらず興味がないのね」
「遺跡自体はもう見飽きてっからなー」
 前を行く二人の会話に、なんとなくエミルは耳を傾けていた。何気ない会話の続きのように、カーレルがレラに言った。
「それはそうと。おまえ、古代魔法国家(ロスト・エティマ)の遺跡調査に派遣されるってことは、ギルドでおとなしくしてるんだな」
「おとなしく?」
「ギルドの連中が襲ってきた夜のことさ。つるし上げてやる的なこと息巻いてただろ」
「そこまでのことは言っていないわ」
 レラが若干むきになったように言い、すぐに言葉の抑揚を元通りに抑えた。
「それに、ただやみくもに上に持ちかけるほど、私も考えなしではないわ」
「へぇ」
「ギルドに所属しないという理由だけで、在野の魔道士を害して良い理由にはならない。それを善しとしてしまうなら、今のギルドの有り様は歪んでいるということよ。事の根は、そんな単純な話ではないのよ」
「……ご主人の場合、ただモグリってだけの理由でギルドに嫌われてるわけじゃないと思うずらよ?」
 地霊の兄弟が、エミルの両肩からぼそりと呟いた。
「日頃の行いが鬼のように悪いでヤンスからねえ……」
「てめーら、少しはご主人様をフォローしようって気はねえのか?」
 刃のような三白眼でにらまれ、地霊の兄弟ばかりかエミルまで思わず後ずさった。
「それもまた否定はできないけれど」
 足を止め、ごくわずかにではあったがレラが瞳の端をやわらげて、怯える彼らを見た。しかしすぐにその表情は、元通り厳しいものになる。
「それにしても、ギルドのやりようはどうかと思うわ。この間、石像騒ぎがあったでしょう」
「石像騒ぎ……古代魔法国家(ロスト・エティマ)のゴーレムが街で暴れた話ですか」
「ええ。あの一件が、ギルドでどう言われているか知っている?」
「いえ。何かあるんですか?」
「カーレルがあれを街に呼び寄せた、と言われているのよ」
「えええっ?」
 エミルは思わず頓狂な声を上げてしまった。見るとカーレルは、そんなことかとでも言うようにぼりぼり頭を掻いている。
「そんな馬鹿な……お師匠様は、暴れていたあいつを停止させたんじゃないですか。むしろあんなのを街に野放しにしたままで、ギルドの魔道士達は何をやってたんだって言いたいくらいです」
 憤然と言ったエミルに、レラは冴えた月光を思わせる眼差しのまま続けた。
「あんなものにまともに対抗できる魔道士が、どれだけいると思うの? 下手に挑んだところで、怪我人が増えただけだわ」
 ……確かに、それなりの攻撃力はあるはずのエミルの召喚魔法でも、あのゴーレムはビクともしなかった。
「だからこそ、ギルドで余計なことを吹聴する者も増えるのよ。ただでさえカーレルは得体が知れない。そして大陸指折りの黒魔道士であり、《古代語魔法(グランドグリフ)》の研究者でもある。あの一件を見て、カーレルならゴーレムを復活させることもできるだろう、と思い込む者達がいるの。魔法に失敗してゴーレムが暴走して街を襲った、と言う者はまだ良心的なくらいね。意図的に、実験のために街を襲わせたと、そう真剣に考えている者達もいるのよ」
「ひどいや……」
 エミルは呻き声を上げた。規格外の魔力を持つカーレルだからこそ、あのゴーレムをあんなにもあっさりと停止させることができたのであって、カーレルがいなければあのまま街にはもっと被害が拡大していたに違いないのだ。あのとき死者こそ出なかったが、怪我をした者は多かった。いずれは軍か魔道士ギルドかが停止には到らせただろうが、レラの言葉からしてもそれは容易なことではなく、下手をすれば死者すら出していた可能性もある。
「そう。ひどい話よ。それがまかり通ってしまっているギルドの現状は、決してあなどれた話ではないのよ」
 レラは淡々と言い重ねた。横でどうでもよさげにしているカーレルに、鋭くサファイア色の瞳を上げる。
「あなたも、少しは自重してちょうだい。そこの子達が言うように、これはあなたにも問題があるの」
「へいへい」
「真面目に話を聞く気があるの!?」
 よく声が反響するせいで、レラの声が高く遺跡内に響き渡り、エミル達はもとよりレラ自身もそれにびっくりしたようだった。軽く咳払いし、声のトーンを落とす。
「……私だって、むやみにあなたが悪く言われるのを見たくはないのよ」
「ンなこと言ったって。あんな連中にぺこぺこ頭下げて機嫌取れってのか? 冗談じゃねえや」
 カーレルが不満そうに反論した。
「誰もそこまで極端なことは言っていないでしょう」
「同じことだろ。ギルドの馬鹿どもは、要は俺が頭を下げてギルドに入れて下さいって言い出すまでは納得なんかしやしねえよ」
「なぜそこまでギルドを嫌うの?」
「俺はほっといてくれっつってるだけだ。余計なちょっかい出してこなけりゃ、ギルドなんざどうだっていいよ」
 レラはひとつ、長く小さく嘆息した。諦めたように、ヒールの音を響かせて再び歩き出す。
 カーレルも何も言わず歩き出し、エミルはなんとも気まずい思いに、思わず両肩それぞれにいる地霊の兄弟達に呟いてしまった。
「……どちらの言い分も、極端に行き違ってるだけで、それぞれにもっともなんですよね……」
「そうずらねえ。ほっといてくれ、ってご主人の言い分は、本当なら別におかしくはないずら。ただ、必要以上に挑発して反撃するからこじれるんずらよ」
「それにしても、ご主人があのゴーレムを呼び寄せたっていうのはひどいでヤンス。ご主人だってあの後へこんでたでヤンス。人間はこれだから無知で無痴のムチムチでイヤでヤンス」
 憤然としているサンデーを、エミルは苦笑気味に見た。
「ごめんね」
「むう。ぼっちゃんは違うでヤンス。わてらはぼっちゃんのことは好きでヤンス」
「最近はとくにこう、やられ仲間というか、同志っぽい意識も芽生えてきたずら」
「はは……」
 それに対してはあいまいにエミルは笑い、ふと、足元――というか真横の壁と床の境目あたりに目を落とした。
「……何か、ここだけ少し砂が吹き溜まってる?」
「ほんとずら。なんずらか、ここ。壁が動いたりするずらか?」
「そんなありがちな仕掛けがあるのかなあ」
 まさかと思いつつ、エミルは一見何もないように見えるその壁を押してみた。と、たいした力も入れていないにも関わらず、壁の一部が人ひとりの大きさくらいの長方形を描いて向こう側にへこんだ。
「うっそぉ」
「おおう。これはまさしく隠し扉でヤンス!」
 エミルと地霊の兄弟が目を丸くする。
「お師匠様を呼んできた方がいいかなぁ、これは」
「そうずらね~。中に何があるか分からないずら」
 言っているそばから、しかしその隠し扉は少しずつ向こう側にへこんでズレ込んでいた。――さながら見えない何かに、向こう側から引っ張られているように。
「ぼっちゃん……何かこれ、おかしいでヤンス」
 異常に気付いたサンデーが大きな瞳をぱちぱちさせた。地霊の兄弟が、ぎゅっとエミルの肩につかまる小さな手足に力をこめる。
 ずず、ずず、と、石と石がこすれあう重い音を立てて、隠し扉が動いてゆく。その動きの中に、カリカリカリ……という、何かが硬いものをかじっているような、奇妙な音が聞こえる。聞こえる、と意識した瞬間、エミルはぶわっと産毛が総毛立つのを感じた。思考するよりも先に、開きつつある隠し扉の向こうに「何か」がいることを理解していた。
 思わず後ずさった背中が、広くもない通路の壁にすぐにぶつかった。向こう側にへこんで行く扉の縁から、ぷちん、と何かがはじけるような音が――それは実際に鼓膜を震わせる「音」というより、頭の中に直接響いたように感じられたが――した。
 がっ、とそれまでの鈍重さが嘘のような勢いで扉が開かれた。その向こうに現れたものがなんなのか、エミルにはよく分からなかった。
「う、わ……っ」
 ただそれは、エミルの目には真っ黒い霞のように見えた。霞といっても、これほど濃密で、まるで生きているように見える霧なんて聞いたことがない。いや、そもそも霧が真っ黒であるわけがない!
「きゃーッ!」
 地霊の兄弟がエミルの肩の上で悲鳴をあげた。逃げる場所もないエミルを、それは地霊の兄弟もろともあっという間にのみこんだ。
 それにのまれた瞬間、エミルは先ほどの比ではない悪寒が全身を走り抜けたのを感じた。一瞬のうちに上下の感覚すら分からなくなる。ひどい悪寒と、骨まで凍りそうな寒気を感じた。頭の中に、まるで肌から直接染み込んでくるのではないかと思うような、強烈な……絶叫が響き渡った。
 ――いやだ。いやだ。いやだ。
 ――出して。出して。ここから出して。
 ――こんなところで。死にたくない。死にたくない!
 ――助けて。ここから出して。死にたくない!!
 ――死にたくない!!
「ひ……」
 思わず洩れた悲鳴すら声になっていたのかどうか。エミルぼっちゃん、という声が遠くで聞こえた気がしたが、強烈な毒に瞬間にあてられたように、エミルは自分の全身が冷たくなり、耐え切れず意識が一瞬で暗闇に落ちるのを感じた。
 そして彼自身も、叫んでいた。胎児のように身体を丸めて、出ない声を振り絞るようにして。死にたくない、と。


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