5.FREE RUN (1)

   § : ZERO 「5.FREE RUN」
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 復活記念祭が終わって数日が過ぎ、その余熱も冷めた頃。
 アグラス新市街の高等裁判院にて、「不敬にも記念祭の初日に凶悪なテロ事件を起こしたレジスタンス達」に対する公開裁判の場が設けられた。
 まだ記憶に新しいテロ事件の実行犯が公開裁判にかけられる、という試み自体がかつてない話で、裁判の話題性は大きく膨れ上がった。
 そして多くの人々の心の底に、野次馬根性と物見高さと「凶悪犯」達に対し「正当な権力からの正当な暴力」が行使されるその様子を観覧したいという、ある種の嗜虐的な楽しみが存在していたことも否定できない。
「その感情もまた人間の本性の一つだからな。特に大義名分があると、必要以上に残酷になれる」
 涼しい顔でカルセイ・保紡はそんなことをうそぶいた。シェルツが当分使い物にならないことだし、この機会に何かしらを企む輩も出てくるだろう。牽制のためにも、多少大袈裟にやっておくのは悪くない。
「人の善意というものを、カルセイ様は信じてはおられませんか?」
 控えめにカー・ウォンが尋ねると、カルセイは軽く手を振って、笑みに似た表情を作った。
「善意が悪意にまさることはあっても、本能の誘惑にはそうそう勝てないさ。そんなものだ」


 アグラス官庁街一帯を含むヴェスタ地区、そのやや西拠りに高等裁判院は設置されている。
 空はやや雲が多かったがよく晴れ、乾いた初夏の風が爽やかに新市街を吹き抜けていた。
 高等裁判院は広大で、大小いくつもの法廷があったが、特に傍聴希望者が多かった今回の裁判には半野外の円形ホールが提供されることになった。大規模な法廷開催に対応できるように作られた講堂はすり鉢状になっており、上部は張り出した天井に覆われている。天候不順の折にはインフレート式の天井が法廷全体を覆う仕組みになっているが、よく晴れたこの日それは開放されたままだった。
 しかしそれでも、講堂の収容可能人数は五百人が精一杯というところである。大半の人々は法廷に入ることができず、高等裁判院の正面エントランスホールに設置された巨大ディスプレイやその他の特別中継用ディスプレイを介して、裁判の様子を見守ることになった。


 マーブル模様の入ったパープルグレイの上品なフロアタイルが敷き詰められた高等裁判院エントランスホール近辺は、そんなわけでこの日は大勢の人間で賑わっていた。
 太い円柱の柱が高い天井を支えるホールは開放的で、前面が総強化ガラス張りになっている。ふんだんに陽光の差し込むそこは観葉植物が随所に配置され、裁判院という堅苦しい印象をやわらげていた。
 そのホールの人混みの中を、磨き込まれたタイルに姿を薄く写しながら歩く二人の娘がいた。
 一人はスカート丈の短いタイトな黒いスーツに、キリッとしたハイヒール。もう一人もスーツではあるが、白いそれは身体の線があまり出ておらず、割合に踵の低いパンプスだ。どちらの娘も思わず目をひくほどの美人で、白いスーツの娘はやわらかそうな栗色の髪を、黒スーツの娘はハネひとつない艶々しいダークブラウンの髪をしていた。
 耳を寄せて囁き合ったり時折クスクス笑いながら歩いてゆく二人に、すれ違う男性達がついというように目をひかれる。
 いかにも初々しい彼女達を見送りながら、彼らもまた、彼女達の容貌や素性についての憶測などを囁き合う。
 すれ違う男性達にささやかな話題を提供しながら、彼女達はフロアを横切ってゆく。


「セネ、スーツ似合うなあ」
 白いスーツにパンプスという姿のシリルが、隣を歩くセネを見ながら言った。
 襟元のスカーフがアクセントになった黒いスーツが全体の印象を引き締め、タイトスカートから伸びる見事な脚線美を惜しみなく披露しているセネは、まさに颯爽という風情で歩いている。縁の細い眼鏡が、これまた聡明そうな顔によく似合っていた。
「あら、シリルだって捨てたもんじゃないわよ」
 シリルも普段はリボンでハーフアップにしている髪をすべて上げており、メイクのせいもあって印象がかなり違う。とはいえ可愛らしさが先に立ってしまうのは否めない。
「私はなんか子供っぽくて駄目だもん。セネはいいなあ。出るとこ出てるし、きゅってなってるとこはなってるし」
 しみじみと言われて、セネが少しばかり頬を染めた。
「な、何言ってるのよ。シリルだってこれから育ってくるってば」
「でもね、くびれはどうにもならないと思うの」
「あー。そればっかりはねー」
「私、なんか全体的に平らっていうか、薄っぺらいんだよ。カラダの線が出る服はダメ。子供っぽくなっちゃう」
「それはそれで可愛いと思うけどな」
「セネはそんなんだから、そんなこと言えるのようっ」
 シリルが頭を抱えるのを、まあまあ、とセネがなだめた。
「変にあたしみたいなのも、これはこれで面倒なのよ。お店に出てるとき、変な目で見てくる奴もいたしさ」
 シリルが心配そうな顔になった。
「そういうの、大丈夫だったの?」
「うん。身内の誰かがそういうのは叩き出してくれたからね」
「もてるのも大変だねぇ……」
「互いにないものねだりね」
 そこでセネがちらりと背後を見て、シリルの耳元に顔を寄せた。
「それよりさ。悪くないと思わない?」
「思う思う」
 シリルも後ろに目をちらりとやって、勢い込んで頷(うなず)いた。
「最初はどうなることかと思ったけど。これならうまくいきそうだね」
「みんなサマになっててびっくりよね。いろんな意味で、だけど」
 娘二人は顔を寄せ合って、くすくすと笑った。


 彼女達とは距離をあけながら同じ方向に歩いてゆく、スーツ姿の三人の男達がいた。
 黙々と歩いていたノンフレームの眼鏡をかけた一人が、そのうちこらえ切れなくなったように肩を小刻みに震わせ始めた。
 笑いが止まらない様子の金茶頭のその若者に、隣を歩いていた熊のような巨体をいかにも窮屈そうにスーツに押し込んだ男――グルドが、じろりと不機嫌な眼差しを向けた。
「うるせえぞ、そこ」
 言われてなんとか笑いをおさめようとするも、眼鏡の若者――イリヤは、グルドの姿がちらりと視界に入った途端また笑い出してしまう。どうやら完全にツボに入っているらしい。
「だってもう……あんたその格好似合いすぎだろ。どこのマフィアだよ」
「うるっせえや。おめえこそますます優男になりやがって」
「ま、まあまあ、こんなとこでケンカはやめましょう、ね?」
 同じくスーツ姿のエドガーが、慌てて二人をとりなした。
 三人は人気(ひとけ)が比較的少ない壁際に向かい、そこで時間を潰すような仕種を装った。
 グルドがむすっと唇をひん曲げたまま、抑えた声でぼやいた。
「ったくよぉ。正面から堂々となんて抜かしやがるから、てっきり殴り込みかと思えば……こんな茶番、俺には付き合いきれねえ」
「殴り込んだ方がよっぽど茶番さ。命がいくつあっても足りやしない」
 やっと笑いの発作がおさまってきたらしいイリヤが、それでもまだ笑みの気配を残しながら言った。こちらも明るめの色のジャケットスーツ姿である。そんな格好をして眼鏡をかけていると、思わず目を疑うほど彼は印象が変わった。場所柄的にも、法律事務所の秘書とでも言えば通ってしまいそうだ。
「そうですよ、グルドさん。その、まあ、気持ちは分からないでもないけど、こうするのが一番安全で良い手ですよ」
 スーツ姿がこれも意外によく似合っているエドガーがグルドをなだめた。グルドも理屈自体は承知しているらしく、不満たらたらの様子ではあったが、それ以上は黙っていた。
 そんな三人に、離れて立っている二人のスーツ姿の女性――セネとシリルが、さりげなく時折目を配る。お互いに耳を寄せ合って囁き合いながら笑っている二人を見て、グルドが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ったくよお。お嬢さん達は何があんなに楽しいんだ、ってぇの」
「あんたの格好じゃないのか? さっきからあんたのことばっかり見てるぜ」
 言ったイリヤに、さらにグルドは苦い顔をした。壁の方を向いて唸る。
「くっそぉ……さっさと片付いたら、俺ぁもう二度とこんなクソ忌々しい窮屈な格好はしねえぞ。馬鹿にしやがって、こんちくしょうっ」


 セントラルタワー内、とある資料室で、一人脇目もふらずに端末をいじり続けている人影があった。
 手脚の長い黒髪ショートカットの少女。へそまで見える丈の短いぴったりしたタンクトップにホットパンツ、ニーソックスといういかにも活発でカジュアルな装いからは、そうと知らなければとても彼女が「アスラ・保紡」という名前を所有する究極の御令嬢であるとは予想できない。
 普段は陽気にくるくると表情を変え、生き生きとした感情を惜しみなく披露する口元や瞳は、今日はいつになく真剣に目の前のディスプレイを覗(のぞ)き込んでいた。
 うまく操作ができず、また思ったように求める情報を得ることができずに、アスラは何度も艶やかな短い頭髪をがしゃがしゃかき回し、思わずのように机を叩いたりしている。空調のよくきいた室内には他にほとんど人影はなかったが、部屋を管理している係員がそのたびに顔をしかめていた。しかし何しろ相手が相手なので、文句があっても口には出せない。
 一心不乱に端末を操作していたアスラは、やがて捜し求めていたデータベースにやっと辿り着いた。それは別段セキュリティがかかっているわけでもなく、ごく普通に公開されている一般情報にすぎなかったが、今の彼女にとっては象徴的な意味を持つ重要な情報だった。
 ディスプレイには、そのデータがSCS付属病院に勤務している医師達の名簿であることを示す見出しが映し出されている。アスラは手元のメモと見比べながら、次々にデータページをめくる。
 やがてその手がピタリと止まった。
 ディスプレイに映し出されているのは、一人の難しそうな顔をした男のデータだった。アスラの目は、そこに並ぶ簡単な情報を辿ってゆく。添えられた経歴には、こんな説明が添えられていた。一年前に急死したアグラス前総裁ウォーレス・保紡の検死を行ったのは彼である、と。
 そして今から半年以上前にその医師が死亡していることを読み取ると、火傷しそうなものに触れでもしたようにアスラは立ち上がった。その黒い瞳が大きく見張られ、上がりかけた悲鳴を抑えるように口元を手で押さえる。その瞳も指も、小さく震えていた。
 アスラは薄い胸を両手で抱え込み、何度も深呼吸した。やっと震えがおさまると、立ち上がった拍子に蹴った椅子もそのままにバタバタと出口に向かう。係員が何か声をかけてきたようだったが、今の彼女はそれどころではなく、黙って資料室を飛び出した。
 いくらかも走らないうちに、曲がり角でアスラは黒スーツの人物と正面衝突しそうになった。ふわりとかすかに男性用コロンの香りがした。
「これは、アスラ様」
 黒髪に黒い瞳、端正で落ち着いた佇まいのその人物は、少しばかり驚いたように、アスラの身体をこの上なく紳士的でさり気ない、そして優しい仕種で支えた。
「あ……カー」
 アスラは彼の数倍驚いた顔をし、慌ててその側から飛びのいた。
 カー・ウォンの黒い瞳がアスラの駆け出してきた方向を見たが、それについては彼は何も言わなかった。
「失礼いたしました。お怪我はございませんか?」
「だ、だいじょうぶっ」
 カー・ウォンを見ようとはせずにアスラはぶんぶん首を振り、走り出そうとする。その背中をカー・ウォンの落ち着いた声が追いかけた。
「外出ですか?」
「あ、いや、えーとね」
 アスラは出来る限り不自然には見えないように取り繕いつつ、愛想笑いをした。
「そう、出かけるの! えっと、えっと、あれ! なんか公開裁判?とかいうのがあるんでしょ? どうせだからそれ、見に行ってみようかなー、なんて。ほら、あたしもたまにはベンキョウっぽいことしないとだしさ。あははっ」
 口から出まかせで思いついたことを並べ立てたアスラに、カー・ウォンは端正な面持ちのまま頷いた。
「そうでしたか。今からならなんとか開廷に間に合いますね。では車と護衛の者を手配しますので、下のフロントで少しお待ちいただけますか」
「あ、えーっと……」
 アスラに何か言う間も与えず、カー・ウォンは携帯端末を取り出してどこかへ手短に指示を発した。保紡財閥の令嬢であるアスラが一人で無防備に外を出歩くことなどできるわけもなく、まずった、とアスラは渋い顔をしたが、カー・ウォンの前から逃げ出す名目が立ったというのも確かだった。まあ、これもやむなしかもしれない。
「あ、アリガトね。んじゃー行って来るよ」
 アスラは素早く身をひるがえし、今度こそカー・ウォンの側から走り出した。カー・ウォンは一礼して彼女を見送った。


 アスラの姿が見えなくなってしまうと、カー・ウォンはあらためて彼女の駆け出してきた通路を見返った。
 資料室といっても扱う資料が大量であるため無数に存在するが、この先のそれはSCS付属施設に関する情報を取りまとめているものだった。
 資料室に足を向け、そこにいた係員に尋ねてみると、あっさりとアスラ・保紡が今までここにいたこと、端末も何もそのままにしていってしまったことがわかった。ぶつぶつとぼやいている係員に適当に受け答えながら、カー・ウォンはそのアスラが操作していたという端末に向かった。
 そのディスプレイにそのまま残されていた情報に、カー・ウォンの黒い瞳がわずかに細められた。


 グルド達一行が高等裁判院を訪れたのは、無論囚われてしまったアシッドのメンバー四人を救出する為である。公開裁判の告知がなされてから可能な限り情報を集め、ああでもないこうでもないと話し合った末のことだった。
「移送中に車ごと奪還できたらいいんだけどよ……ダメかねえ?」
 当初そう提案したグルドだったが、
「連中もそれは一番警戒してるだろうな」
「ガード状態も半端じゃないでしょうね。それに車ごと奪ったところで、すぐ道路を封鎖されちゃったらどうにもならないわ」
 イリヤとセネにあっさり返され、ううむ、と唸ってしまった。確かに自分が当局側でも、レジスタンスが襲撃してくる可能性としては、移送中、そしてその前後を一番警戒するだろう。あらかじめ襲われることを前提で備えておけば、移動ルートも分かっているのだから道路を即閉鎖するなど造作もない。仲間を奪還すること自体はたやすいかもしれないが、その後が袋のネズミでは意味がなかった。
「一番混乱させやすい時と、場所……」
 呟くように言ったイリヤに、あ、とセネが声を上げた。ああ、とエドガーも頷き、グルドがそれに目をぱちぱちさせた。
「な、なんでい?」
「そうね。それが一番良いと思う」
 セネが心得たように、艶のある唇を笑みの形にした。
「裁判の真っ最中よ」


 仲間を助け出したら、その足でアグラスを脱出する。話し合いの末、意見はそこに落ち着いた。
 たったの五人という少人数で、厳重警戒されている中から仲間達を救い出すのはたやすいことではない。一般人を巻き込んでその場を最大限に混乱させ、その隙を突くしかないだろう。シェルツ爆破のこともあるし、今度また目立ってしまったら、ほとぼりが冷めるまでハイエンターの勢力の及ばない地域に身をひそめる方が無難ではあった。
「それによ。今の俺らがアグラスで出来ることは、ひとまずもうねぇと思うんだ。いずれまた戻って来るにしても、今は何も無理してこの街に留まる必要はねえ。レジスタンス活動は、何もここでしか出来ねぇわけじゃねえんだからよ」
「でも、どこにいくの?」
 尋ねたシリルにグルドはしばし考え、やがてニヤリと笑った。
「そうだな。あてなんかねえけど、まぁなんとかなるんじゃねーか? 行ってみてえところはけっこうあるんだ」
「適当だな」
 やや呆れたように言ったイリヤに、グルドは気楽に返した。
「俺がアグラスに来たのだって、そもそも適当だぜ? 成り行きまかせってやつだ。案外どうにかなっちまうもんだよ」
「確かに」
 イリヤもそれは否定はしなかった。なるようになる、は案外彼にとっても行動指針としてまんざらでもないのかもしれなかった。


 前日のうちから裁判院内に潜んでおくことも考えていたのだが、幸いなことに二人分の傍聴権を得ることができたので、彼らは手分けをすることになった。
 セネとエドガーだけが法廷内に入り、裁判が始まってしばらくしたら騒ぎを起こして混乱させる。同時にグルドもまた、別の場所で混乱を煽る。それに乗じて、囚われている仲間達を助け出す。
 彼らは当日までに、綿密に高等裁判院周辺の地図を確認した。院内の空調ダクトから周囲一帯を走る下水道までチェックし、脱出ルートの下見を済ませた。
 仲間達を無事に救出したら、高等裁判院敷地内から伸びている地下水道に降り、状況に応じてあらかじめピックアップしておいたルートのどれかを通って地上に出る。そして何組かに分かれて旧市街へ降り、各々用意しておいた足でアグラスを脱出して、南東方向にある小都市エトナにて落ち合う。
 警備側も仲間が捕虜を取り戻しに来る可能性は当然考慮しているだろうが、確実に来るのか、来るとしたらいつどこで来るのかまでは把握できないだろう。こちらは少人数で非力だが、その分機動性と連携力に長ける。とにかくその場を混乱させ、迅速に行動して、一刻も早く旧市街へ逃れることだ。


 そして公開裁判当日。彼らはすべての準備を済ませた上で、ささやかな変装――つまりフォーマルな装い――をして高等裁判院を訪れた。
 エントランスホールは陽光をふんだんに取り入れて明るく、そこに多くの人々が行き来したり、談笑したり、電話をしていたり、携帯端末や何かの書類に目を通していたりと、思い思いに開廷までの時間を過ごしている。
 またそれらのところどころに、厳重武装した警備兵達もかなりの人数が混ざっていた。
「……全部でどんくらいかねえ?」
 ホールの隅、木製ベンチの置かれた休憩スペースで、グルドがひそめた声で囁いた。まさしくマフィアにしか見えないグルドは、しかし可能な限り人目を引かないように、らしくもなくできるだけ身を小さくしている。幸い他にも何人か、弁護士やら代議士やら政府高官やらのボディガードであろういかつい体型の者がいたので、そこまで極端にグルドの姿が目立つということはなかった。
「ここまで確認できただけでも、二〇かそこらか。奥にはもっといるだろうな」
 グルドと九十度角に背中合わせになる格好でベンチに腰を下ろしたイリヤも、声音を落として返した。
「おめえさん、いつものあのでっけぇ得物がねえけど、大丈夫か?」
 さすがにこういった場にまであの見るからに物騒な鋼鉄大剣を持ち込むわけにもいかず、イリヤも今回は懐中にホルスターを釣って拳銃を収め、伸縮可能な特殊警棒を隠し持っていた。
 周囲にちらほら見えるボディガードらしき者達も、さすがに銃も持てないような場末の傭兵などとは違い、それぞれに服の下に銃器を携帯しているようだ。立場上身辺の警護が必要な者も訪れる場所であるし、エントランスホールまでであれば特に私物検査を受けることはなかった。警備兵達が油断なく人々を監視している、というのもあるだろう。
「問題ない」
 短く答えたイリヤに、暇潰しも兼ねてグルドは尋ねてみることにした。どうせ開廷までは、まだ多少の時間がある。
「ちょっと不思議なんだけどよ。おめえ、なんで普段は銃を使わねえんだ?」
 桁外れといっていい戦闘能力を持つイリヤの場合は、既に一般常識の枠では測れず、確かにブレイブハートだけでもほぼ無敵ではある。が、やはり飛び道具である銃器は便利だ。そもそも近接武器である大剣とは用途も違う。
「セネもそんなことを言ってたな。そんなに気になる話か?」
 そう返すイリヤに、少し離れたところにいるエドガーもなんとなく耳をそばだてた。
「そりゃあな。つうか、まさか使えねえわけじゃねえだろう?」
「あれだけの方が、弾要らずメンテ要らずだから楽なんだよ」
「嘘こけ。あのバカでかいのだって、あんだけの業物なら手入れは相当めんどくせえだろうが」
 いつになく的確に切り返されて、イリヤはふいと視線を横に投げた。ガラス壁の向こうに広がる人工芝と植え込みは、陽光を受けて作り物めいた緑色に輝いていた。
 そのまま彼は沈黙を守るかと思われたが、
「……銃だと、咄嗟に手加減ができないだろう」
 ぽつり、とそれだけ言った。グルドはその言葉の意味を、今ひとつ把握しかねた。
「手加減?」
「ゆっくり狙える時ばかりじゃないからな」
「……ふむ?」
 それが意味することをグルドは理解して、思わずぎょっとしたようにイリヤを振り返った。
「って、おめえつまり」
「こっちを向くな」
「お、おう」
 慌ててグルドは正面に顔を戻す。そうしながらあらためて、背後に座る彼に底知れぬものを感じた。
 グルドは腕を組んで考え込んだ。イリヤは確かに今まで見たどんな傭兵より、いやどんな人間より飛び抜けて強かった。よほどどこか特殊なところで特殊な訓練を受けたのだろうとは予想がついたし、それはおそらく脱走してきたというハイエンターの軍事機関なのだろう。
 しかし彼は、グルドの知る限りあの大剣を振るって容赦なく立ちはだかる敵を退けてはいるが、いずれも相手の戦闘能力を奪うだけにとどまっていた。
 停戦五年目を数え、傭兵の用途も戦争兵力以外に大きく増えている今は、傭兵といってもピンキリだ。あえて乱を求め境界区に赴いて傭兵部隊に就く者や、それこそ殺し合いや命を奪うことを楽しむような酔狂な輩もいる。そこまではよしとしない者、もっと身近なところで仕事を得る者もざらにいる。時代と共に傭兵の用途も変わりつつあり、だから今まではイリヤの振る舞いにも何かしらの意味を見出すことはなかったのだが。
 彼の前身がいったい何だったのかは分からない。だが少なくとも、確実に人の命を奪う技巧を叩き込まれていること、それを日常的に遂行していたらしいことは、うっすらと想像がついた。それは一般兵のレベルを大きく超えた水準に達している、ということも。
 すっと音も立てずにイリヤが立ち上がり、時間を持て余すようにあたりをゆっくり歩き始めた。今は眼鏡にスーツという装いのせいですっかり優男にしか見えないその姿だったが、グルドは若干ぞわりとした感触が背筋を這うのを感じた。
 その時、何かに気が付いたようにイリヤがホールのある一点に目を向けた。少しの間そうしていたが、じきに逸らす。 
「どうかしたのか?」
「いや……なんでもない。見間違いだと思う」
 イリヤがそう言った時、離れた場所にいたセネが建物の奥の方に歩き出すのが見えた。講堂、つまり公開裁判が開催されるその方向。気がつけばホールにいた人々のうち何割かが、同じ方向に流れ始めている。
 エドガーが目線だけでグルドとイリヤに合図をして、同じ方向に歩み去っていった。
「ぼちぼちか」
 グルドが腕時計を見下ろした。


 アスラが護衛達に囲まれて高等裁判院に到着したのは、開廷までもう間もない頃合いだった。
 貴賓用の駐車場に停まった車からアスラは降りると、後について来ようとした護衛達をくるりと振り返った。
「ここからは一人でいいよ。あんた達はここで待ってて」
「そういうわけには」
「もー。こんなトコで護衛ぞろぞろ連れてってもさ、なんにもあるわけないっつーの。かえって目立つし邪魔なだけだよ」
 渋る護衛達に言い置いて、アスラはさっさと歩き出した。護衛達は戸惑っていたが、あまりに有無を言わさぬアスラの態度に、やむなく従うことにしたようだった。それに厳重警戒された裁判院で、確かに何かあるとは思いにくかった。
 エントランスホールに入ると、広く明るいそこは思った以上に人が多かった。法律関係と思われるスーツ姿の男女も多かったが、それ以上に一般人も多い。つい最近起きた凶悪テロの実行犯の公開裁判、というなかなか刺激のある催しは、すっかり人々の話題をさらっていた。
 しかしアスラにとっては、咄嗟に出た言い訳のせいで来るはめになっただけの場所であり、はっきりいって裁判などどうでもよかった。いや多少の好奇心はうずいたが、彼女は今は心情的にそれどころではなかった。
 アスラは所在無く、ぶらぶらした足取りで広いエントランスホールを徘徊していた。
「はぁ……」
 伸びのついでに頭の後ろで手をからめる。本来活動的な彼女は、しかし今はすっかり意気消沈した風情で何度も溜め息をついた。
 その胸中を占めるのは、無論先日のカルセイ・保紡とのやりとりだった。
 カルセイはアグラス総裁であると同時に保紡財閥総帥でもあるため、普段から多忙でなかなか思うように会うことができない。あの夜以来、アスラは一度も彼に会えていない。
 だが彼に会えないことが、今は寂しいのかほっとするのかアスラ自身にもよく分からなかった。
 先日、何気なくこっそり忍び込んだ先で遭遇した、カルセイ・保紡とカー・ウォンの言い争い。そこで出会ったカルセイは、アスラが知っている彼とは別人のようだった。凍りつくような氷青の瞳は底の見えない暗さを帯び、冷めた表情でアスラを見た。あんなカルセイは、十七年生きてきて今まで見たことがなかった。
 そして彼は語った。一年前の先代総裁、すなわち父親であるウォーレス・保紡の死は、自分がやったことであると。
(……そんなの、いきなり言われたってさ……)
 将来の義父になるはずだったその人物のことを、当然だがアスラはよく覚えている。独善的で傲慢でまさに独裁的な人物だったが、強引な性格から来るその指導力は強大だった。長く続いていた東との戦争をいったん終わらせ、荒れ果てた街や土地の整備にも力を注いだので、庶民からの人気は決して低くはなかった。
 逆らう者には容赦をせず、敵味方問わず多くの者を殺したと言われていたが、少なくともアスラにとっては「ちょっと悪者めいたカッコよくて優しいお義父さん」だった。その急逝にあたっては、アスラには甘かった生前の姿を思い出して泣いたりもした。
 ……それなのに。
(カル……本当なの?)
 他ならぬカルセイが、そのウォーレス・保紡を手にかけただなんて。
 アスラも立場上、保紡財閥の内部では昔から陰謀策略が日常茶飯事であることは知っている。暗殺沙汰、暗殺未遂も、表沙汰にならないだけで珍しいことではない。若すぎる総帥であるカルセイも今まで何度も命を狙われているし、常に誰かしらが暗殺を企んでいるといっていい。
 ……そう頭ではわかっていても、よりによってカルセイが、その実の父親を――だなんて、すぐに受け入れろという方が無理があった。
 あの夜の出来事は何かの間違いだったのではないか、冗談だったのではないか、と何度も無理に思い込もうとしたが、その度にあのカルセイの恐ろしく冷たい青い瞳を思い出してできなかった。
 悶々とすごしながら、アスラは一年前のその出来事について、少しでも何か分かることはないかと思って調べ始めた。しかしアスラが調べて何か出てくるほど甘い話ではなかった。
 唯一情報の断片に手が届いたのは、一年前にウォーレス・保紡が急死したとき、その検死に当たった医師のことだった。死亡診断書を書いたのはその人物であり、しかし心不全とされたその診断書は事実とは食い違っていたわけで、つまり当時カルセイ達から何か命じられたか、さらに踏み込んで「事実」を知っていた可能性が高い。
 そう思ってその医師のことを調べてみたが、得た情報は半年以上前にその医師が事故死していたということだけだった。しかしそれは、目眩がするような衝撃をアスラに与えた。
 ――口封じ。
 偶然じゃないのか、という淡い期待を押し切る強さで、その考えはアスラの心に突き立った。
 これが偶然だなどという都合の良い話があるのだろうか。問いただしたところで、きっとカルセイもカー・ウォンも何も答えてはくれない。だから確証は持てない。だけれど。
(きっと本当なんだ……)
 アスラの中にそんな思いが、肌寒いような悪寒を伴ってじんわりと浸透していった。
 なぜ、どうしてそんなことになったのかは分からない。でも一年前、カルセイとウォーレス・保紡の間で、その出来事は起きてしまったのだ。
 そんなのは嘘だ、と思う自分もいた。だが嘘だと否定するということは、どこかでそれをもう信じている自分もいるということだった。
 あの夜のカルセイの眼差しを思い出すと、怖くて泣き出してしまいそうになる。あれは誰だったんだろうとすら思う。あんなのあたしの知ってるカルじゃない。いつだって優しくてとびきり甘い表情で笑ってくれた彼ではない。父親を殺したと笑いながら告げたあれは、いったい誰だったのだろう。
 これからどうやってカルセイに接すればいいのか、それを考える余裕もこのときはまだ持てなかった。半信半疑で混乱し、ただたまらなくカルセイが怖かった。
 ……自分はずっと騙されていたのだろうか。
 そんなことを考えながら、ぼんやりエントランスホールに立ち尽くしていたアスラは、そのとき不意に誰かの視線を感じた。
 木製のベンチが観葉植物と一緒に置かれて、休憩できるスペースが設けられた場所。物思いを断たれて振り返った視線が、そこに立っていた一人のスーツ姿の若い男と重なった。
 明るめな色のスーツに金茶色の髪、ノンフレームの眼鏡が知的な印象のその男は、驚いたようにアスラを見つめていた。が、すぐにその視線は逸らされ、行き交う人と人の向こうに隠れてしまった。
「……なんだ、アレ?」
(なんか、どっかで見たことあるような……)
 ああ、もしかしたらあたしがアスラ・保紡だと分かったのかもしれないなあ、と思いながら、そろそろ開廷時間が近づいていることに気が付いた。人々が講堂の方向へ流れ始めている。正直なところ気は進まなかったが、ここにこうしていてもそれこそ仕様もない話だった。
 もしかしたら少しは気もまぎれるかもしれない。そう思って、アスラも気を取り直し同じ方向に向かってみることにした。


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