10.真珠 (1)

   § : ZERO 「10.真珠」
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 前触れもなく突然出没した叶生博士については、翌朝話を聞いたグルド達も驚かせた。
「奴にどうやって、俺らの場所が分かったんだ?」
 アグラス当局ですら把握できていないだろうに、それが薄気味悪かった。
「さあな。何にしてもふざけた話だ」
 不愉快さを隠さず、イリヤは言った。
「お嬢ちゃんだけかと思いきや、おめえにまで奴が何か絡んでるらしいってのはどういうことなんだろうなぁ」
「どうせろくな話じゃないさ」
「そうだろうけどよ。気になるじゃねえか」
「今考えたって埒が明かない」
 イリヤはあっさりと言い捨てた。
「まあ、叶生と当局がうまく噛み合ってないらしいってのは好都合だ。あの様子なら、当分はタナトスが出てくるっていうのもないだろうと思う。今のうちにさっさと進んだ方がいい」
「……おう」
 答えながらも、グルドは懸念に近い感覚を覚えていた。
 叶生の得体の知れなさが、いつになくイリヤを苛立たせているのだろう。ルーメンフェルスに現れたカデルも、彼と叶生の関わりについて、そして彼が「何も知らない」ということについてを、揶揄するように何度も指摘していたという。
 次の街に向け、時折対向車とすれ違う荒地の中のアスファルトの街道を走るキャンピングカーの中で、ふうむ、とグルドは腕組みをした。
 ハンドルを握るイリヤの隣にはナビ役も兼ねたセネがいて、アスラがそこにちょこちょことじゃれつき、シリルは片付けものなどをしながらその様子を微笑ましそうに眺めている。東への旅のうちにすっかり自然な光景になった、平和そのもののいつもの眺めだ。
 ゴールドアローをひとまず目指してはいるものの、どこにどう落ち着くか、正直グルド自身もまだ明確な案を持たない。ある程度は成り行きに任せるしかないせいもある。
 しかしそのゴールドアローも、あと数日の距離まで迫っている。この光景、すなわち延々車を走らせているような状態も、そこでいったんは終了するということだ。
 彼らがひとまず安全な落ち着きどころを得たとき、イリヤはどうするのだろうか。元々がイリヤは一行の護衛役として雇われているのだから――報酬を受け取ろうとしないという点で「傭兵」という表現が相応しいのか疑問だが――一行の安全が確保されれば共にいる理由を失う。
 今は一時的に追跡が緩んでいるにしろ、彼がタナトス達に狙われているのはもはや明白だったし、その状態で他人とすごすのはリスクが大きいことは言われるまでもなく理解できる。今あえて彼がそのリスクを冒している理由は、自分が連れて来たシリルに対する責任感と、グルド達の安全がまだ確保されていないという点に尽きるだろう。
 それが確保されたならば、イリヤは今度こそ姿を消すのではないだろうかとグルドは考えていた。
 だが、しかし。
「カッコつけすぎだろうがよ、そんなの」
 結局世話になりっぱなし、というのもおさまりが悪い。なんでもかんでも一人で抱え込む彼を見ていると、ちったあ力を抜けよとも言いたくなる。それに、イリヤを度々脅かしている得体の知れない「発作」についても気になった。
 要はイリヤの存在を「一介の傭兵」と割り切ることが、既にグルドにはできなくなっていた。
 あいつの場合ブン殴って言うこと聞かすってわけにいかねえしなあ、などと考えていたところに、黙り込んだままのグルドの様子を窺うように見返ったセネと目が合った。
 セネはまるでグルドの考えていることが分かったように、小さく肩をすくめてみせた。
 グルドも返事代わりに、口をへの字に曲げてみせた。


 ――白っぽい光が差し込む病室のベッドに、「彼」は起き上がっていた。
「その頃」の記憶は曖昧で、ぼんやりとして、細部を思い出そうとすると儚く霧散してしまう。それでもところどころ、ひどく鮮明に焼き付いている。そう、「あのとき」不意にベッドの傍らに立った黒衣の男の姿が、いつまでも褪せることなく記憶に焼き付いているように。
『俺と一緒に働く気はないか?』
 鮮やかなスカイブルーの双眸を真っ直ぐにこちらに向けて、男は口を開いた。
『働く……?』
 思いもよらぬ言葉に、そう問い返す。
 ランドール事件という大規模なテロ事件に巻き込まれ、九死に一生を得たという自分は、つい先日まで長いこと昏睡状態にあった(らしい)。やっと意識を取り戻したものの、その間に投与された大量の薬剤の後遺症でぼうっとしていることが多く、未だに頻繁に心神喪失状態に陥る(ようだ)。
 死にかけていた自分を見つけ、助けてくれたという黒衣のその男は、若干中性的な、絵に描いたように整った容貌をしていた。しかしそれでいて一切脆弱な気配がない。ベッドの上で意識を取り戻してから初めてその男を見た瞬間、焼き付いたのは白銀の閃光の錯覚だった。研ぎ澄まされた刃のように美しく張り詰めた、そして止水のように静謐な気配。こんな人間がこの世に本当に存在するのか、とすら思ってしまった、その強烈な存在感と印象。
『おまえは軍人志望だったな。ならば言葉を取り繕う必要もないか』
 裾が長く留め金の多い一風変わった黒い軍服を纏う男は、感情の伴わない声音で続けた。
『仕事の内容は様々な意味でハードだ。保紡財閥の直轄下に入り、保紡にとって都合の悪い相手を除くために各地で任務を遂行する。綺麗事ではすまない』
 漆黒を帯びる男の身にかかる陽光が、やけに白っぽく明るかった。
『……でも俺、まだガキだけど?』
『子供の方が御しやすいのさ』
 身も蓋もないことを男は言った。
『日常的に、人間を手にかけることになる。見なくてもいいものを見ることになるだろう。だが、誰かがやらなければいけないことだ』
『誰かが……』
『何のために、というのはさておいてな』
 薄く男は笑った。笑っているのにそうは見えない、乾いた表情だった。
 どこかぼやけていた金色の瞳が徐々に鮮やかな光を取り戻し、やがて真っ直ぐに男を見返した。


『これから君には、保紡の警察組織の急先鋒として尽力邁進してもらうことになる』
 訓練期間を経て初めて正式に漆黒の制服を纏った彼に、狭くも広くもない実務的な部屋で「総司令」と呼ばれる人物が言った。
『何しろ人手が足りない。任務は熾烈なものになるだろう。だが君は、他ならぬシンの秘蔵っ子という触れ込みだ。期待しているよ。T-07、イリヤ・カーラント』
『はい』
 それだけを返したイリヤに、おや、と何かに気付いたように総司令が首を傾げた。四十歳過ぎのはずだが年齢以上に若々しく見える彼は、茶色っぽい頭髪に眼鏡をかけた存外に優しげな顔立ちをしていた。
『君の瞳は赤くないのか』
『はい』
『鮮やかな金色だな。とてもいい。君達の仲間の眼の色には、言っては何だがどきりとさせられる』
『そうですか』
 無愛想に答えると、総司令は思わずのように笑った。
『軍で序列を無視できるのは、君達くらいのものだな』
『そいつは特に礼儀を知りませんから』
 声を投げ込んだシンに、総司令が気安く言葉を返した。
『君も似たようなものだろう、シン』


 見違えたな、と聞き覚えのある声に呼びかけられて、イリヤは身体半分に振り返った。塵ひとつなく磨き込まれたフロアタイルに、ゆるくなびく黒衣の裾が淡く映った。
『半年振りか? もう子供ではないな』
 総司令と呼ばれる男は、穏やかな色をした瞳をすがめるようにして、黒い軍服を纏う隙ひとつない少年を眺めた。
『本当は私は、君の加入には反対だったんだよ』
 たわいもない言葉を一言二言かけた後、総司令はそう続けた。
『未来ある若者に任せるにはあまりに過酷な仕事だ。君の人生を間違いなく我々は奪う。すまないな、イリヤ』
『あんたに謝られることじゃない。自分で決めた話です』
 イリヤは興味もなさそうに答えた。
『潔いな』
『あんたの人生だってろくなもんじゃないでしょう。こんな場所に関わった時点で』
 総司令は若干驚いたように目を瞬き、それから心底のように破顔した。
『そうか。それは言えている』


『ロッシは、随分おまえのことを気に入っているようだな』
 言ったシンに、不機嫌にイリヤは返した。
『なんでさ』
『さあ。直接聞いてみればいい』
『ごめんだ』
『気に入らないのか?』
『保紡もハイエンターも大嫌いだね』
 言い切ったイリヤに、シンは呆れた顔になった。
『俺の前以外で、そんなことを口走るなよ』
『あんたも勘違いするなっての』
 むきになったようにイリヤが振り返った。
『俺は保紡に従ってるんじゃない、あんたに従ってるんだ。保紡の事なんかどうでもいいんだよ』
『他ならぬタナトスの言うセリフじゃないな』
『タナトスだからこそ、だろ。こんな仕事してて、保紡に忠誠なんかどうやって誓えって言うんだ』
『……確かに』
『だろう?』
 笑うしかないという顔をしたイリヤに、僅かにシンも表情を崩した。
『だが本音はどうあれ、もう少し口を慎め。もし反逆罪に問われたら事だぞ。俺がお前を斬ることになりかねん』
『うへ。シャレになんないって、それ』
『だったらもう少し良い子にしてるんだな』
『分かったけどさ。子供扱いするなっての』
 むくれるイリヤに、シンが軽く声を立てて笑った。


 途切れ途切れの光景が、モザイクのように記憶を埋める。接触した人間の大半を覚えてはいない。ただ時折、それなりに関わりを持った者達の声が、気まぐれのようにノイズ混じりの記憶の中を通り過ぎる。


 順調そうで何よりだ。
 あなた、軍人?
 てめえは自分で何かを考える前に、そんなことばっかり教え込まれちまったんだな。
 見敵必殺だ。君達には最もたやすい任務だろう。
 少し痩せたか?
 効率が落ちているぞ。
 あなたは平気でいるわけじゃないのよ。
 そんな今にも倒れそうな状態で、何ができる。
 君の思う通りにするといい。


『君も我々も誤っていた、ということを認めるしかない』
 自嘲というには穏やかすぎる調子で、総司令と呼ばれる男は言った。
『今となっては遅いだろうがね。やはり君は、タナトスなどに入るべきではなかった』


 ……それでも、選んだのも決めたのも自分なのだから。
 今でも時々、思うことがある。あのまま何の疑問も抱かずにいられたら、自分は愚かではあっても幸せだっただろう。何かを失いはしても、それを惜しむこともなく、ある意味真っ直ぐに生きられただろう。
 何に悩むこともなく、憧れのすべてだった存在と共にいられた頃を、強く悔いながらも胸のどこかで甘く懐かしく思う。決して戻らないと分かっているからこそ、禁断の実のように。


 ――ふ、とイリヤは目を覚ました。
 身体の下に車の振動と、目の前には至近距離から斜めに覗き込んで来るアスラの顔。
「お。起きた起きた」
 ぴょこ、とアスラが腰を伸ばした。窓辺に座り背後に軽くもたれるようにしていたイリヤは、アスラの顔を視線で辿りながら何度かゆっくり瞬いた。
「……寝てたのか、俺」
「うん。珍しいねー、イリヤがうたた寝するなんてさ」
 やたら取りとめもない夢を見ていた気がする。数瞬のうちにそれらの断片と余韻は、押し寄せた現実感の向こうに流されてしまう。
 すぐ横にある窓の外はよく晴れていて、乾いた空と道路のアスファルト、まばらに緑の点在する荒野が見えた。
 それにしても、よほど気が緩んでいたようだ。素人であるアスラに目の前に立たれていながら、まったく気付かなかったとは。
 どこかぼんやりしているイリヤの前に、考え深げな顔つきで突っ立っていたアスラが、黒い瞳をくるりと光らせて再びヒョコリと彼の顔を覗き込んだ。
「イリヤさぁ。何か悩みあるなら、相談乗るよー?」
 唐突極まりないアスラを、イリヤは呆れ含みに見返した。
「急に何を言ってるんだ、おまえは」
「だってさ、イリヤってなぁんにも言わないんだもん。べらべら喋る男もキライだけどさー、喋らなさすぎってのもどうかと思うわけよ」
「別に、あえて話すようなことはない」
「むー。じゃあ愚痴でもいいぞ?」
「とくに愚痴もないな」
「むうー」
 とてつもなく不満げにアスラが眉間にしわを寄せた。その遣り取りを、セネとシリルが片付けものや作業の手を止めて、何事だというように見守っている。グルドも運転席から耳をそばだてているようだ。
 びっ、と唐突にアスラがイリヤの鼻先に指を突きつけた。
「決めた。ゴールドアローに着いたら、アンタあたしと飲み比べしよう!」
「は?」
「題してヘベレケに酔わせてクチをカチ割らせよう作戦! アスラちゃんはつっよいぞぉ、覚悟しろよー?」
 ああ、とイリヤは納得した。
 やっと近付いてきた目的地である「ゴールドアロー」というその地名。それが無意識のうちにイリヤを過去の中に回帰させ、モザイクのような夢を見せたのだ。
「こらこら。聞いてんのか、あんた」
 心ここにあらずといった風情のイリヤに、アスラがますます眉間に縦ジワを刻んだ。
「聞いてるよ」
「むむ。よゆーだな」
 イリヤはあらためてアスラを見返し、脚を組み替えつつ唇の端だけで笑った。
「俺に勝てると思うのか?」
「むう、ナッマイキなぁ」
「やめといた方がいいと思うぜ」
「そう言われて引き下がるアスラちゃんではなぁーい! アンタのそのゴーマンな鼻っ柱をヘシ折ってくれるわー、泣いて謝っても知らないからなっ」
「はいはい」
 あしらうイリヤに、アスラが舌を出した。
「ヨユーぶっこいてられんのも今のうちだぞっ」
「やけにからむな、おまえ」
「そりゃあねー」
 アスラは口を尖らせ、イリヤをジト目で見下ろした。
「アンタみたいなカッコつけには、いっぺんなんもかんも忘れてパーッとやっちゃうのも楽しいよ?って教えてあげたいわけさ」
「カッコつけねえ……」
「年がら年中そんなんじゃ疲れるだろぉ?」
「そうでもない」
「む。カッコつけなの否定はしないんだな」
「そりゃまあ」
「ま、そういうのもキライじゃないけどさー。それとこれとは話が別だっ」
 再度アスラがイリヤに威勢よく指先を突きつけた。
「つーわけでゴールドアローに着いたら勝負! 忘れんなよ、イリヤ!」
「了解」
 苦笑まじりに答えたイリヤに、アスラはよし、とどこまでも上から目線で頷いた。


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